【ODRピックアップ】 20151230 ”コミュニケーション”が素晴らしいのだ
2年前のGoogleのCM。
お父さんと息子がタブレットを見ていて、”むすこと勉強”の時間になる。二人が解くのは、1、1、5、8を四則演算で10を作るというもの。なかなか難しくて、お父さんは息子が筆記用具をとりに行っている間にgoogle検索をして答えを導きだし、子供が凄いと喜ぶ。。。微笑ましい?。。。。いや笑えない。
ウチの家族たちもすぐ検索する。自分もついついなんでも検索してしまう。
確かに便利である。時間の節約にもなる。既に誰かが知っている事は時間を裂いて1からやるよりも検索で見つけて次へ進んだ方がいいこともある。考えても知らない事はわからない。さっさと検索して次へ進めばいいとも思う。
CMでは結果的に家族の絆も深まっている。
もしもお父さんが問題が解けなくて、時間が過ぎて行ったとしたら?
時間が経過し、険悪なムードになるかもしれない。
家族3人で笑顔になる時間が減るかもしれない。。。
いや。言いたいのはそこじゃない。
インターネットが、ネット検索がなかった時代へ戻ろうという気もない。
なかったなら、それこそ紙と鉛筆で、お母さんも加わって、勉強を媒介に家族がもっと接しただろう。友達に相談したかもしれない。それで友達との生のコミュニケーションが増えたかもしれない。
コミュニケーション?
今だってLINEがあるじゃない?と子供たちは言うだろう。それも一理。
生身のコミュニケーション?実際こどもたちはネット経由のコミュニケーションの上で生きている。TVや電話が最初からあった世代は、それを前提にコミュニケーションを作って来たじゃないか?
試行錯誤が減った?試行錯誤に意味があるんだと。でも、全人類がいつまでも同じ試行錯誤をしていたら進歩もない。「1158で10」の試行錯誤自体には、それだけの意味しかないのだ。
ネットでいいんだ。
ネットでなくてもいいんだ。
親子が素晴らしいんだ。
家族が、友達が素晴らしいんだ。
コミュニケーションが素晴らしいんだ。
試行錯誤が素晴らしいんだ。
手段はなんだっていいんだ。