【ODRピックアップ/半蔵門ビジネストーク】20160930 神様のい・う・と・お・り
半藤一利 著の昭和史(1926−1945)によれば、1929年満州事変の始まりとなった柳条湖付近の鉄道爆破事件では、天皇陛下と首相に叱責されビビった陸軍大臣が中止の伝令を飛ばしたのに、現場の実行部隊は最終的に決行かどうかを割り箸を立てて図ったと書かれています。(67ページ)
結果としてやめるほうに倒れたので、一度はやめることになったものの、やっぱりやろうと決行し、戦争に突入してしまいました。
そんな重大なことを割り箸で?という驚きはさておき。。。
我々もこういう決め方していませんか?
子供のころ、少ないお小遣いを握りしめて駄菓子屋へ。量重視のお絵描きセンベイか一発大当たりを期待したくじびきか、安定のうまい棒か悩みはつきない。。そんなとき指を3つたてて、
「どれにしようかな!か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り!」
で、くじになって、くじを引いたらはずれ〜〜
ということがこわいので、「いうとおり!」のあとに、さらに、
「かきのたね」とか「あべべのべ」とか「どっちんばっちんこ!」とか続いて、結局意中のものにきめたりして。
全然論理的じゃないのに。なんでこういうのに頼ってしまうんでしょう。
日本だけかと思っていたら、海外にもあるそうで。
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Eeny, meeny, miny, moe
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イニミニマイニモー
陸軍の例でもわかるように、本当に神様に委ねている訳ではありません。結論は出ている。そして、そうなるように、言葉を積み上げるのです。逆にやりたくない場合も同じ。割り箸やコイントスのように、2択で決してしまっても、結局はやりたい方向に進んで行くのです。
一種の責任転嫁。迷いがある決定に誰にも転嫁できない判断ではなくて決断を、いかにも運を天に任せたようにする責任転嫁に他なりません。
なんで、このことを思い出したかというと、運を天に任せた決断が迫っているからなのです。笑