【お題】20170206 未来のタラレバと過去のタラレバ
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今週のお題「私のタラレバ」
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「あの時告白していればよかった」 とか、
「あんなこといわなければよかった」 とか、
「思い切って転職していれば」 とか、
「もっと考えればよかった」 とか、
「努力しておけばよかったな」 とか、
「したこと、しなかったこと」を、後から考えて悔やむタラレバがある。過去のタラレバ。桑田佳祐氏の「いつか何処かで」の歌詞にあるフレーズ♪今も忘れない夢の分かれ道♪のように、タラレバは人生の分かれ道の産物、それぞれ誰もが多少はあるだろう。けれど、それは所詮は過去のこと。既に選んでしまったこと。タイムマシンで時空を超えて過去に戻らない限りやり直せない。だから、自分にも、誰かにも、こう言うようにしている。
「正解を選ぶ」のではない。
「選んだ道が正解」なんだ。なぜなら
「キミが選んだ道だから」だ。
日々出くわす分かれ道に、正解があると考えてしまうと、正解を求めすぎてしまい、タイムリーな選択ができなくなってしまう。だから、熟考はするにしても、判断できず決断が必要になってしまったら、正解を選ぼうとするのではなく、寧ろ、選んだ道を正解にしていくつもりでいいんじゃないかと思う。
それと、選ばないというのは、なにもしないという一つの選択であるのだ。そして、選ばなかったから、おそらく失敗もしていないのだろうが、故にその世界をまったく知ることができないことになる。「選んで成功」はベストで、「選んで失敗」はその次セカンドベストだが、「選ばなかったから成功も失敗もない」のは、ワーストの選択である。
一方。
「この手にン億円あったらな」とか、
「フランス語が話せたらな」
というタラレバがある。過去のタラレバと違って、まだ、何もしていない類いの未来のタラレバ。未来のタラレバは、目標になる。お金を稼ぐ、貯める、あるいは宝くじを当てる(?)ことが目標になり、何をするかが決まって来る。フランス語を話せたらこうなるという目標があれば、いつまでにどれくらいフランス語が話せるようになればいいか、具体的な目標に置き換えることができる。
未来のタラレバのために選択を積み重ねていくと、それらは過去のタラレバとして積み重なるが、目標や目印がある上での選択は、最終目的が見えているから、失敗してもそこで停まるのではなく、軌道修正してリトライをすることになる。結果としてあきらめない限り失敗にはたどり着かない筈である。
くり返そう。
「正解を選んでい”れば”よかった」と考えなくていい。選ぶのではないよ。選んだ道それが正解なんだ。なぜならキミが選んだ道だからだ。
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今週のお題「私のタラレバ」
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