【半蔵門ビジネストーク】20171229 引きこもる我ら
コミュ障という言葉はいつ頃から出てきたのか。
対人関係が必要な場面で十分なコミュニケーションをとること、意思疎通ができなくなることは、自分の子供の頃でもそうだった。
初めて会う人には話しかけられても親の後ろに隠れてしまい、
先生との面談でもじもじしてしまったり、
発表の場面で声が出なくなって泣いてしまったり、
そんな場面はいくらでもあった。
それらは、
「恥ずかしがり屋だね」、
「緊張しているね」、
「あがっちゃったね」、
そんな風に軽く誰でもあることとして受け流され、受け流し、克服しないまでも、どうにかなってしまったと思っていた。
自称・コミュ障
自称・「コミュ障なんで」という自己紹介はよく聞く。
ただ、そういう人と接した時思うのは、
「コミュ障であることを伝えられるというコミュニケーション能力が”すごい”(千鳥・ノブ風)」
ということ。笑
「コミュ障っぽくないよ?」というと、猛然と説明してくれる。笑 少なくとも説明中はコミュ障ではなくなっているようだ。
彼らのコミュ障症状は、声が出なくなることが多いそうだ。それ、よくわかる。
前職時代、創業社長に呼ばれて社長室にいって、対面して、
「どうかね、最近?」
と聞かれ答える時に、突然声がかすれてしまうことが多々あった。オーラやフォースが出ていたわけではないだろうが、その人間としての”すごさ”に臆してしまって勝手に声がかすれてしまっていたのだと思う。
アイドルでさえ
ジャニーズのアイドル・嵐のメンバー、”ニノ”こと二宮くん(?)は、TVで「家からでない」ことを発言している。ある再現ドラマで、先輩に呼び出された彼として描かれていたのは、みんなが騒ぐカラオケの隅っこで、パジャマのままの姿でゲームに没頭する姿であったが、引きこもりのアイドルというジャンルもできそうだ。同じくアイドルのショコタンこと中川翔子さん(?)も、コミュ障だといっているようだし。
既読がついた
以前は引きこもると外界との接触は、TV、DVDなどから受けるだけの一方通行になりがちだった。それでも、DVDを入手するために外に行かなければならなかった。それがネットの普及により、外にでなくても自分から見に行けるようになり、メールで相手と対面して対人しなくても、やりとりができるようになった。でもでも、読まれない、届かないこともあり、たまには外界との接触をせざるを得なかった面もある。
メッセンジャーの普及により、LINEやWhatsAPP、WeChatで相手の受診、既読がわかるようになった。メールではわからなかったので、直接会わなくても、伝わったことがわかるようになり、読んだほうも見てない言い訳ができなくなり返事も返ってくるようになり、もうそのための外出は不要となった。ますます引きこもれる環境が整った。
社内引きこもり
よく考えると出社して社内にいることが多い。
もちろん外出はするが昔のように営業に出歩いているわけではない。一番よく出るのはランチの時間と夜の街。そういう意味では出社して引きこもっているのだ。社内引きこもりだ。コミュ障かもしれない。
最近では、TV会議システムとその場所を整備した。この結果、出て行かなくても意思疎通が図れるようになった。もちろん、きてもらってもいいのだが、TV会議で会話でもいい。4〜5人座れて広角カメラで全員映るので、どこかとの会議場所としても使ってもらえる。自分は出て行かない仕組みを整えつつある。
ちなみに
女性より男性のほうが引きこもり耐性がある
実例でも何年も部屋から出てこない話は男の子が多い(あるいは女の子の事例は公開されていないだけかもしれないが)。ただし最近は引きこもった結果ハマったサブカル系というかオタク系というか、声優とかアニメとかアイドルとか、そういった対象が登場するイベントが多いので、引きこもりといいつつ外出が多くなっているように思う。しかし、心は引きこもっているのか。
それはそれで病理は深い。
(はてな1013記事)