[【半蔵門ビジネス雑談】20180104 「規制する権利」は自由の一形態か?
国際連携を民間で進める上で、費用対効果を得るためには時にオンラインで会議をするほうがよい場合が多く有る。毎回毎回各国の代表者をどこかに集めてくることはそれぞれに予算がある以上は現実的ではないからだ。
そこで、電話会議を使ったり、最近ではインターネット上でのTV会議を使ったりするのだが、この国際連携に中国本土が入っている場合に使えないツールが多くある。
Google Hangoutは最初から使えなかった。
先日WhatAppが使えなくなった。
そして昨年11月の終わりに、Skypeが使えないことになってしまった。
同じ中華圏でも香港や台湾は使えるので、中国本土だけが使えないのだが、技術レベルではなく国家レベルでの規制なので「どうにかできる」話でもない。従って、中国で使えてかつ他でも使えるツールを使おうということになり、そうなるともはやWeChatくらいしかなくなってしまうのだ。他の選択肢を考えてみても、
- 電話会議を使う
- オリジナルのTV会議を開発する
- TV会議を止めて何処かに集合
- 中国なんとかしろ!
くらいしかない。
電話会議だと回線利用料金がかかるので、国によってはバカにならないし、予算利用の決済が必要となり開催の調整が大変になるし、
オリジナルあるいはまだ普及していないTV会議を使うには、それが使えるかどうかなどの検証も必要となるし、
残るのは、集合かWeChatかしかなくなるわけだ。
「中国なんとかしろ!」
と迫ると、
「じゃあ交通費と宿泊代出すから来て!」
とか言い出す可能性があり、そうなればもう中国の支配下に入るようなもので、国際連携の中立性が薄れて来てしまう。
規制は権利だ、主権だというのが中国で、それによって連携国が困るという配慮はない。曰く、「我が国はそれらがなくてもなんとかできる技術がある、君たちは規制しないのは自由だから、できるツールでやればいい、我が国を閉め出すのも君たちの自由だ、だが、資金はもう出さないよ、市場もあげないよ?」
という。明言はしないが暗にいう。
これに対し、アメリカも、こんなことを言い出した。
アメリカの規制は逆で、中立性を損なう規制を禁じていたのを、撤廃するという。すると自分の都合で規制してもいいという規制緩和だ。アメリカがWechatを規制するともうなす術はない。
「規制するのは権利だ」とするとそれは自由で有るが、その結果の誰かの不自由は権利の侵害になるのだとしたら、どこで歯止めをかけるか?
中国さんそれは違うと思うぞ。
権利を守るために規制が始まるのだ。
(はてな1019記事)