相手が悪いか、相手に悪いか【御散歩雑談】20190221
子育てで、どうしてもいうことをきかない子供が駄々をこね続け、業をにやした父がげんこつを振るう。それを見たママが、パパ暴力はいけないわ!ととめる。最初に悪いのは子供であり、そうしてしまった親なのだが、「悪いのは最後のげんこつ」になってしまう。。。
仕事をサボり、悪態をつく社員、上司が「お前なんかやめちまえ!」と怒鳴る。それに対して、「今のは人権侵害です、パワハラです!」と訴える社員。ニュースで取り上げられるのは、「上司のパワハラ」だったりする。
某国の海軍のレーダー照射に対しての抗議。反撃ではない。それでも、最初の国際法違反ではなくて、最後の「抗議」に対しての批判が出てくる。味方のはずの国内メディアからもでてくる不思議。
何度かブログにも書いているが、以前に関わった国際商事紛争でも、最初に納品品質を守らなかった相手に対して、最後に支払いを拒んだ当方のほうが悪く言われた瞬間があったのも同じような傾向だ。「契約違反を犯した相手方」に対して、「支払いを拒否したことの契約違反」がクローズアップされる。本来、原因を作った相手が最初に責められるべきと思うが、なぜか、こちらの行為が先にクローズアップされてしまう。
それは、単に声の大きさなのか。
それとも、仲裁する人にとって、最後の行為のほうがわかりやすいからなのか。
もちろん暴力を振るわせた相手が悪いという考えには問題はある。いじめられる方が悪いというタイプの批判だ。決して暴力容認をしようというのではない。
が、最後に殴ったほう”だけ”が悪くなる風潮にも問題がある。
これは台湾との付き合いでもよく出てくる傾向だった。
- 台湾のパートナーとある約束をする。
- 彼らはその約束を守れなかった。
- こちらが怒る。
- 彼らが理由を説明をするので、とりあえず聞く。約束を守れなかった理由はわかった。わかったが、許せることではない。
- しかし、相手は、理由を理解をしたのだから自分は悪くないと主張する。そして、自分は悪くなくて、こちらが理由を理解したのだからなぜまだ怒るのかと非難する。
これに似ている。
発想の源はどこにあるのだろうか?
これか?
相手が悪いと思う中国人 相手に悪いと思う日本人 感想 加瀬 英明,石 平 - 読書メーター
おてんとさまが見ていると思うかどうか。
結局そこにつきるのだろうか。