懺悔というかカミングアウトというか
父親が入院したのは3月の半ばだった。深夜に「救急車を 呼んでくれ」と訴えたらしい。それでもしっかりしていたのでタクシーを呼んで救急へ。朝になって重度の肺炎だと判明し、一時は「覚悟を」とまで言われたもののステロイド剤などでどうにかこうにか。。
見舞った父はいつものように毛筆で日記をつけていた。何十冊目かの大学ノートには古い新聞記事が挟まっていた。
それは、何十年も前の新聞の切り抜きだった。第八回県中学総体の特集コラム。私が中学3年。15歳。42年前の記事だ。
コラムには自分の名前があった。
父が引いたのだろう。私の名前に赤線。
記事は、卓球の部門での優勝候補だと、友人と私があげられている。
そうだ。当時、私の中学は、2年前の全国大会で優勝。前年もベストエイト。県大会は何連覇もしていて優勝は当然と目されていた。記事でも”ずば抜けた力”と持ち上げられている。確かに緒戦では優勝していたし、実力もそれなりにあったのだと思う。
しかし結果は、個人戦も団体戦も勝てなかった。伝統に泥を塗った。
なぜか?。。。。。
逃げたからだ。
練習はつらくなかった。鍛えられていたからハードトレーニングなんてなんともなかった。なにから逃げた?
がむしゃらにがんばることから。真剣になにかをやることから。
いや。大人の期待に答えることから?
いや。頑張った結果負けることへの恐怖感から。
たぶん。それ以来。ずっといつも逃げ続けている。
今もだ。