【ODRピックアップ】20150625 隠家的珈琲屋
高校生の頃、生まれ育った田舎の街に珈琲屋が開店しました。
それまでも珈琲店はあったのでしょうが、その店は、歳が近く山好きで音楽好きでバイク好きなマスターと奥さんが我々を弟のように可愛がってくれたので学校が終わるとみんなが集まって来て”青春”の会話を交わしたものでした。
それ以来、珈琲屋は憧れの場所、音楽を聴く場所、宿題を写す場所、そして逃げ込む場所、そう特別な場所になりました。
大学生になり都会に出て来た頃には、学校の周りに数多くの喫茶店があり、いつも入り浸る大学隣の「セントナ」(昔もその名称だったか定かでない)や池袋駅までの道に数多くあった喫茶店が、日常の溜まり場になっていきました。
しかしやがてマクドナルドがオープンし、ファーストキッチンや、ドトールコーヒーなどができてくると、友達と珈琲を飲む場所は妙に明るく少しお洒落な(当時は)場所を選ぶようになり、古い珈琲屋は次々とインベーダーゲーム屋になり、コピー機を置く店になり、その後、静かに閉店していってしまいました。跡地に何ができたのかは覚えていませんが、例えば、当時ニュースを賑わしていた言葉「地あげ」が行なわれたこともあったのだろうと推測します。
どちらにしても、「憧れの場所、音楽を聴く場所、宿題を写す場所、そして逃げ込む場所、そう特別な場所」だった珈琲屋は次々となくなっていったのです。
は、そんな時代の名残を物語の中に組み込んでいます。
(ネタバレ)父親の営む珈琲屋に来た地上げ屋を阻止しようとした結果殺人を犯し有罪となり刑務所での刑期を終えた主人公がその珈琲屋でコーヒーを入れ続ける、そしてそこにはいろいろなドラマを持つ人々が立寄。。。という話なのですが、ここは正に今は数少なくなってしまった隠家的特別な珈琲屋が描かれています。
私は珈琲屋をブログに書いたりソーシャルメディアで共有しません。隠家はなるべく知られずに置いておきたいからです。にも関わらず珈琲屋好きとしては、友人がいいお店を教えてくれるとついつい荒らしに行ってしまいます。でも、自分の隠家は出さない。なんて利己的な?でも出さないw
そうした隠家的珈琲屋は、今でも喫煙可のところが多く、煙草を呑む友人や取引先とざっくばらんな話のときは、隠家に誘います。商売としてはよくないのでしょうが喫煙可の店には嫌煙の人々はこないので、ひっそりとしています。皆さんも口数少なく静か。
半蔵門や永田町、赤坂見附あたりにはまだまだそうした隠家がありますが、やっぱり秘密にしておきましょう。