半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

【ODRピックアップ】20150723  僕らはみんな歯車かもしれない。ただし”自走できる歯車”なのだ

【ODRピックアップ】20150723  僕らはみんな歯車かもしれない。ただし”自走できる歯車”なのだ

 

子供の頃よく言われました。

「社会の歯車で終わるな」と。

社会人になって思いました。

「歯車にしかなれないのでは?」と。

 

www.youtube.com

 

上の動画を見ましたか?主人公?の為に、誰かが何かの役割を果たし、最後のにその主人公の役割は、「(ネタバレなので白文字反転していますー>)靴の汚れ落としマット」だったという不条理感。違和感。場合によっては不快感。

 

 確かにそうなのです。大きな会社にはいれば、出来上がった仕組みの中で動くしかないのかもしれません。小さな未完成の企業に入っても、成功すればするほど大きくなり、やがては大きな仕組みを作らざるを得なくなります。その結果、自分たちが創った仕組みの中で歯車にならざるを得ないというジレンマ。それを嫌って会社を飛び出しても、同じことの繰り返し。例えば、創業して社長になっても成功すれば、これまた「社長」という名の歯車になっていくのです。

 

 機械式の時計を開けてみると、複数の歯車が連動して廻っています。複雑に絡み合っている様はまるで現実の企業社会のようでもあります。時計は確かに歯車の集まりですが、これには歯車を動かす原動力となる心棒があります。これはねじや電池を動力に全ての歯車を動かすたった一つの根源となっています。

ちょっとまてよ・・・・

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 私たちは確かにどこまで言っても歯車なのかもしれません。それは、周囲に人がいて社会がある限りは誰かと何かと連動しあっている、その意味では歯車であらざるを得ない。しかし!
時計の歯車群と決定的に違うのは僕たちには脳と心があること。

自由に向きを変え、歩いていける体があること。

周囲とコミュニケーションのとれる声と周囲の様子を感じ取る耳があること。

五感があること。

ただの歯車ではない。

自分で自転する動力源を持ち、自分の廻る方向で集合全体の回転方向や速度を変えられる歯車なのです。一個一個が動力源を保有する自走・自転できる歯車なのです。

 自分の意思で自分の進むべき方向に廻ることを忘れないで欲しい。そして、時には強引に、時には調和して、歯車全体の方向を無駄なく一致させ大きな力となっていけるのです。時には自転できることに気づかない歯車もあり、時には方向を変えたり速めたりすることを嫌う人もいるかもしれません。”反対することを目的とする”やつもいるかもしれません。しかし、負けるな。あきらめるな。

 

勝つまで負けです。

 

ある新米リーダーに贈る言葉です。