【ODRピックアップ】 20150924 反論しにくくしたって本質は変わらない
毎朝事務所ビルのエントランスで顔を合わせる2Fの会社の人が話しかけてくる。
「毎日ダイレクトメールが多いですなぁ」
「そうですね」
「まったく無駄なのにねぇ」
「そうですね」
。。。
郵便ポストに無造作に突っ込まれているチラシのことです。
ローンや宅配ピザ、水道工事、マッサージの案内、証券投資や不動産売買のあっせんの広告など毎日毎日ポスティングする人がいるのです。
「広告会社さんの口上は、”このポスティングをやめたら、売上がもっと下がりますよ”なんですよね。うまいこといいますよね。反論しにくいもの」
ポストの中を取り出している私に
「じゃ、おさきに」
と、彼はエレベータに乗り込んでいきました。
* * *
時々、通っているカイロプラクティックは、自然治癒力を高めることで肩こりを初め体調を自力で維持するための施術をしてくれます。基本は背骨を矯正することなのですが、いろいろ興味深いことをしてくれて、行くのが楽しみになっています。楽しみの一つは、先生のちょっと変わったコメント。例えば、「背中にマイナスイオンの太いのが刺さっていたので抜いておいた」とか「角の曲がった牛の肉を食べたので毒素が溜まっている」とか、その日の不思議な治療に対する一言が全くもって反論しにくいものに徹しているのです。私を紹介してくれた友人には、「風邪を引く確立が70%だったが、30%にまで下げておいた」とか「小さい癌の芽があったが、消しておいた」とか。
* * *
世の中には、とってもディベートのウマい人が沢山います。反論しにくいところをついてきたりして、反論できない自分にフラストレーションを感じてしまうこともしばしば。
でも最近わかった。ディベートで勝っても、論破しても、ことの本質は変わらないこと。そのポスティングをやめたら売上が下がるんじゃなくて、広告の最適配置はいつも見直しが必要であるということ。広告を減らせば売上が下がるのは真だとしても、効果の疑わしい広告を同じところに打ち続けるのは、売上が落ちなくても費用対効果は悪くなるという本質。
細かな言葉尻。想定しなくてもいいような事態への対応があるのかという質問。本質でないところの議論に真摯に対応していっても本質を見失えば元の木阿弥。
一時期、ディベート技術をつけることがもてはやされたことがありました。今でもそこに力点を置いている人もいるでしょう。でも忘れてはいけないのは、そんなディベートで勝ったところで、本質へ触れられなければ何も変わらないし、誰の心も動かない、ひいては、何も変えられないでしょう。
「倍返し」の半沢直樹シリーズ。
既に、第4弾が単行本で出ていますが、第3弾が文庫になったので読んでみました。本質を見極めて、どんな立場になろうとも「自分品質の仕事」をし続けることが、なによりも大事だと、こんな時代だからこと改めて肝に銘じておきたいと思います。