【ODRピックアップ/半蔵門ビジネストーク】20161201 スタンスを決めろ
右は左があるから右であって、左も右があるから左です。自分の左に誰かいるから自分が右にいるのです。自分の立ち位置を誰かの左にすれば、誰かが右になり、自分が左になります。上とか下も同じ。高いとか低いもそうです。相対的。
自分のスタンスを誰かのスタンスを基準に決めたがる傾向ってありませんか?
例1;
トランプ氏が米国の大統領になるにあたり、公約となっているTPPへの消極さが決定的になってきていますが、日本では衆議院で可決され、参議院での審議に入ろうとしています。(記事参照にはログインが必要)
これに対して、一部では、「米国が進めないといっているタイミングでの可決は不用」との意見が出ています。
例2;
仕事で、ある会議に招集された人が、「私は何故呼ばれたのか?この会議での私の役割は何か?役にたつのか?」などといっています。どうも、自分の役割を決めてもらいたがる傾向が感じられます。
確かに役割などは、相対的に決まることもあるのは確かです。同じような力量の人がいて、片方がリーダーシップを取り始めるなら、補佐に回って協調したほうが、チームにとってもよい効果になるでしょう。船頭が多くと岡に乗り上げてしまうよりはマシ。
日本では、聖徳太子の17条の憲法以来、いや恐らくそれ以前から、「一.和をもって尊しと成す」文化が根付いてきたといえます。
現代語訳を見ると、
二.三法を敬え、
三.詔に従え、
に先だって、
一.相談して決めろ、そうすれば成就できる
とまで言っています。宗教や上司の命令より、相談が大事だと。絶対的なことに先んじて、相談しろと言っているのです。つまりはそれは、立場を先に決めていくよりも、相対的にやっていく思想そのものです。そして、これらは、聖徳太子が決定したのではなく、恐らく、文化的にそういうものだったのでしょう。だから第一条にしたと、井沢元彦氏の著書でも、主張されています。
確かに、相手に合わせて物事を決めれば、先へは進むでしょう。優れたリーダーシップがあれば、それが一番かもしれません。しかし、全員がその考え=誰かに合わせて行く、だとすると、その選択は、誰もが思いつく、誰も反対しない、当たり障りのない道を示すだけかもしれません。
TPPを日本として、よしと看做せれば、それは他国がどうあろうと進むという選択肢をとることがあってもいい。自分の役割を決めてもらうのではなく、自分の得意分野を前面に出して、会議を引っ張って行くことになるのもアリな筈です。
「一.和をもって尊しと成す」文化を土台としつつ、
スタンスを主張する時期に来ているように思います。
空気を読む文化から、空気を作る文化への変化。
誰かが空気を作るのを待つのではなく、ひとり一人が、自分の空気を主張する。
スタンスを先に決める。その上で、和を以て尊し。
恐らく。
日本にしかできないことです。