【ODRピックアップ/半蔵門ビジネストーク】20170221 我が輩は消費者である?
私のFacebookのフレンドは、なぜかマレーシアの方が多いのです。Facebookを始めて間もなく、いきなりフレンド申請されて、分けも分からず承認していたので、そんな状態になっています。
そして、コメントはみんなマレー語?(かどうかも不明)で書かれてきてしまい、
「なんで?写真がそれ風???」
状態だったのですが、最近マレーシアの方に聞いて判明したのは、私の名字の読み=Mandaiは、マレーシア人のLast name=Mandayと一字違いなので、「みんな同国人だと思っているのだろう」とのこと。
しかも、お隣シンガポールには、「"Manday" is a name of urban area」があるそうで、「フレンド」260人中、マレーシア人6名、うち5名は知らない人です。この知人1名のマレーシアの方は、消費者保護や消費者行政に関わっている方で、最近、SNSに目覚めたようで動きがよいのです。
家庭に関わる法で、裁判員の次に多い関わりは、消費者に関する法でしょう。日本では、2009年10月に消費者庁が発足しました。それまでは、産業振興に軸足を置き、産業を発展させる方向にあった日本の省庁ですが、消費者庁を作る意味、意義はなんだったでしょう?
大きな推進のきっかけとなったのは、一連の食に関する事件だったと思います。その後の一連の消費者庁に関する報道は、「"弱い"消費者を、"保護"するための、正義の省庁」的に感じられる報道が多いように思います。
消費者行政は、1960年にアメリカのケネディ大統領の消費者主権宣言が始まりといわれているようです。ここでは、
1)安全を求める権利、
2)知らされる権利、
3)選ぶ権利、
4)意見を聞いてもらう権利、
が唄われていますが、いずれも「権利」で、主体的な感じがします。
消費者行政の文脈では、「消費者市民」またはそれに類する言葉が使われますが、市民革命を経ていない日本では、主体性をもった消費者市民が根ずくまで少々時間がかかるのではないかとの意見がありましたが、8年経った今、どんな状態でしょうか。
産業政策と消費者行政は相反する面もあるものです。
これまで産業の発展を中心に据え、育成し保護的なことをしてきたのに対して、消費者は、マーケティング的にもマスメディアの発するブロードキャスト型の世論形成に見られたように、情報弱者的でした。
しかし、ネットワーク型社会へ移行して、情報の入り方が変わったため、世論形成も変わり、いってみれば消費者が強くなってきたのだと考えます。しかし、ここで消費者がそのパワーをいたずらに権利主張のために振りかざしたのでは、企業は大変すぎて、つぶれてしまうか、いいものを安く大量に供給できなくなってしまうし、それでは持続可能な社会なんて作れません。
グローバル社会においては、保護も重要ですが、消費者は
「単にクレーマーではない 建設的に意見して、社会貢献も意識したステイクホルダー」
としての市民であるべきではないかと思います。そのために、国際倫理を意識し、政府と積極的に会話することも重要な役割であるし、政府は、これまでと同様、透明性と説明責任を果たしていくと同時に、実は消費者教育も大事なことです。
我々の進めるODRも、この文脈の中で考えられます。
産業と消費者。これは実は、紛争のある関係なのです。
安く作って高く売りたい産業 vs. いいものを安く買いたい消費者。
起きてほしくない紛争ですが、起きてしまう構造にあるのだから、ODR/ADRの概念で、持続可能な社会に貢献していきたいものです。