【半蔵門ビジネストーク】20171121 未来は真義主義なのか
森博嗣氏の最新作Wシリーズの「ペガサスの解は虚栄か?」での未来社会は、
- 人間は細胞レベルでの移植が可能となり飛躍的に寿命が伸びていて、
- ウォーカロンと呼ばれるアンドロイドではなくクローンでもなくロボットでもない限りなく人間に近い、いやほぼ人間の人間から生まれるのではない人間的な種族?生命?が生まれていて、
- あらゆる情報、データをインプットし分析し判断しているスーパーコンピュータが各国で稼働している。
そして、
- 民主主義は終焉し、真義主義の時代となっていた。
「真義主義」とはなにか?
ググっても出てこない。唯一中国語のfacebookページがあるようだが、その言葉としての定義は見つからない。
英語では、真義=intendment。
辞書では、本当の意義、真意などと言われている。
- 民主主義は、民意を反映する仕組みだ。しかし、全員一致ではない。話し合いを土台にしているが、決定するのは多数決による。
- 全員一致ではないものの、みんなの意見は意外と正しいもので、また、みんなの意見で決めたことは進めやすい。しかし、みんなで決めたからってうまくいくとは限らない。例えば、「今度のオリンピックで金メダル10個獲得する」とみんなで話し合って決めたとしても、とれるわけではない。
- 民主主義は間違うこともあるし、うまくいかないこともある。民主主義は完璧ではない。
真義主義とは推察するに、
本当に正しいことを行なう主義であろう。みんなにとっていいことを、行なう。その「よいこと」とは、誰か一部の人の意図するものではなく、いや誰かの意図ですらなく、「こうあるべきこと」を採用することをよしとする。
だからあらゆる知識を把握し、シミュレーションを繰り返し、こうあるべきことを見つけ出す必要がある。そのために膨大な演算を高速に処理するスーパーコンピュータに頼らざるを得なくなる。しかし、それが正しいとどう検証するか?コンピュータが導きだした結果が最善ではない可能性はある。データが不足しているかもしれない。ロジックにバグがあるかもしれない。熱暴走しているかもしれない。
それでは結果を検証するためのコンピュータを開発するのか?
つまりは、どうあろうと、最後にはスーパーコンピュータを信じるしかなくなる?結局そこへ落ち着くのか?信じることの重さ、難しさ。もしかすると、人間にしかできないことの最後は、信じることなのだろうか?
演算結果ではなく、確率論ではなく、ただその判断に未来を委ねること。。。
真義主義の世界には、国家はなくアニメの「ワンピース」みたいな?世界政府が存在するという。