【読書/映画感想】20171230 ザ・サークル
毎日facebookやらTwitterを使っている我々だが、それがもたらすかもしれないプライバシーの問題は誰もが恐れつつ、自分は大丈夫だと思っている、思いたいのだ。
あらすじざっくり
父を介護するメイ・ホランド(エマ・ワトソン)は、ソーシャルメディアの大企業「サークル」社に入社し、素質を発揮。プライベートも含めた自分の24時間をソーシャルメディアで発信し、大きなフォロワーを得てそれがさらなるソーシャルパワーとなり、人間を探し出せるソウルサーチを発表する。犯罪者を摘発するが、自分のかつての親友を探すことになってしまい、逃げようとする彼は目の前で事故死してしまう。
会社の秘密を知った彼女は経営者らを24時間監視するプロジェクトに担ぎ出した。
「自分コンテンツ」には限界がある
ソーシャルメディアでの”いいね”は魅力的だ。実際はどうでも自分の影響力のような気がするからだ。いや情報発信においては影響力そのものになるかもしれない。しかし、単に定期的に定型の情報発信だと見る方は飽きてくるのかもしれない。マンネリとなるのかもしれない。そうなると、刺激を維持するためには、プライバシーを切り売りすることにもなる。しかしそれは単に自分本体だけでなく、家族や友人までをも、プライバシーの一部として発信情報に載せることになるだろう。友人や家族のプライバシーを侵害してしまうことは明白だ。
例えば、毎回の食事を発信する人は多い。しかし、食事そのもののバリエーションには限界があり、見ているほうにとっては代わり映えのしない(ように見える)ものになってくる。するとより多くの興味を喚起し”いいね”を獲得するためには、その作り方に手を広げるかもしれないし、同席者の情報をチラ見せしたりすることになっていく。すると、私生活の住居や同席者のプライバシーを出すことになってくる。それは、望まれないことかもしれない。
知ることはいいこと。。ではない場合もある
サークル社の社長(トム・ハンクス)は、シェア(共有)は、思いやり!と社員に言わせる。確かにそうかもしれない。UNIXの世界は、”問題は誰かが一度だけ解決する”ことによる成果の共有で技術進歩を一気に速めた。
誰かのいいことは見ていて気持ちがいい。。。場合があり、
誰かの不幸は助けてあげたい気持ちを抱かせる。。。場合もある。
しかし、見せたくない。。。場合もあり、それは自由だ。
助けて欲しくない、自分でなんとかするからという。。。。場合もあり、それも自由だ。
シェアは、誰にとっても望むことではないのだ。
望まれない善意
この映画の描く怖さは、誰もがよかれと思ってやっていることが、最悪の結果をもたらし、それをまた誰もがよいことをしたと信じていることではないか。トムハンクス演じる社長も野望はあれどそれは邪悪ではない野望で悪人でもない。SoulSearchの実験は虐待者を懲らしめた。ただし、本人の都合は考慮しない。みんな「いいことをした、正義を果たした」と思っている。それは今もすでに少しミスした誰かをネットで叩く、あぶり出す、抹殺するようなネット炎上にも現れているが、果たして我々が目指す社会なのか?ということを考えるべきであろう。
繰り返し問おう。
毎日facebookやらTwitterを使っている我々だが、それがもたらすかもしれないプライバシーの問題は誰もが恐れつつ、自分は大丈夫だと思っている、思いたいのだ。
(はてな1014記事)