【半蔵門ビジネス雑談】20180227 悲願の。。。
2月の平昌冬季オリンピックでは、事前にはあまり興味がなかったのだが、日本はメダル獲得数を更新し、女子パシュートなどは接待の飲み会の席で台湾からの客人とともに、おめでとう!と祝杯を交わしたりもした。
バンザイ!ニッポン!
ところで、メダルを獲ってもとらなくても、TVのアナウンサーが絶叫する言葉の中に、”悲願のメダル"とか"悲願の出場"とか、"悲願"がやたらと登場する。
"悲願"=悲しい願い?
「悲願」を調べてみる。
元は仏教の菩薩さまが、慈悲の心から人々を救うために願いを達成することを誓ったことからきているそうだ。
説明では、
是非とも成し遂げたい悲壮な思い
とある。
悲しい願いの中には、さらに「悲壮な思い」があるんだな。
悲劇の中にある主人公が困難を乗り越えて成し遂げる願いなんだ。
しかし、昔のマラソンの円谷選手とか、大泣きしたジャンプの原田選手とかと違って、最近のメダル獲得した選手のインタビューなどでは、あまり悲壮感は感じられなくなってきた。スケートの宇野選手もオリンピックを特別視していなかった。科学的に計算されたトレーニングと理論的な指導のもと、選手たちはもう悲願でなく、英語的なArdent wishやEarned desireの方が近いのだろうと思う。
マジで欲しい!
どうしても欲しい。
スッゲー欲しい!
そして、慈悲の心ではなく、自分のため+スタッフのため、家族のため。
応援してくれた人々への応えとして。それは他人のためではなく自分のための延長。
”悲願”じゃない。こっちだ。
そだねーーー
「悲願のメダルーーーーー!」
とアナウンサーが絶叫すればするほどチャンネルは切り替えたくなる。むしろニュースで淡々と、金メダルを獲得とされたほうがしっくりくるのだ。
悲願の。。。は、もういいかもね。
そだねーー