カーリングと紛争解決【半蔵門ビジネス雑談】20180508
2018年冬季オリンピックは、日本の活躍もめざましく、特に、カーリング女子は初の銅メダルに輝いた。清楚な美人さんたちによる、しかし、北海道弁の「そだねー」が話題となり、休憩のおやつタイムに食べるお菓子の売れ行きが伸びたりして、国内はお茶の間を中心に興奮に包まれていた。
いいよねー そだねー
ルールや作戦が話題となっていたが、ODRという紛争解決を扱う自分としては、その審判に関するルール、コンシード(習慣)に興味を惹かれている。
上述のリンクを始め、TVでの解説や、いくつかの情報ソースにあるように、カーリングには審判がいない。セルフジャッジ方式というそうで、相互にフェアに審判しあうことになっている。
勝敗は、10エンドで行い、各エンドの最後の1投後中心に一番近い石のチームがそのエンドの勝ちとなる。10エンド終了時のポイント数の多いほうが勝ちというシンプルなものだ。
もちろん、石に触ってはいけないし、投げる位置は決められたラインの内側とかそういう基本的なルールはあるが、注目するのは、その残り距離がよほど微妙でない限り、自分たちで判断する。本当に微妙な場合は距離を測るそうだが、今回の中継ではそのシーンはなかった?ようだ。日本vsスェーデン戦の最後の1投で微妙な距離に見えたが、選手は速やかに判断しておわった。
勝ち目がないと判断したら、握手を求め負けを宣言して試合を終わるというコンシードも驚きだ。しかも、オリンピック中に、日本もギブアップしたし、何よりも驚いたのは決勝ですら、韓国がスウェーデンにギブアップしたことだ。オリンピックはもともと「参加することに意義がある」とまで言われてきたが、それにしても、勝つことを背負ってきているオリンピックで、このシーンが何度も行われたのは、まさにカーリング精神が、選手たちに浸透しているのだろう。
揉め事やクレームがないというのは、清々しい。
しかし、それに違和感を感じるくらい、我々は揉め事に接することになれてしまったようだ。
ODRやADRでは、まず当事者同士の話し合いがもたれ、その後、中立的な第三者が調停する。カーリングは、第三者は石の距離が微妙な時にしか登場しない。この精神が実はもっとも好ましいのではないかと思う。個人的には好きだな。
しかし、ジャッジという職業はいらなくなる。計測する人は誰だっていい。選手同士が計測したっていいはずだろう。
ところで、カーリングのブームにより、家でカーリングごっこが流行っていた。うちでは、お掃除ロボットを石に見立てて、ワンコと競争。あるオフィスでは、椅子に乗ってモップでスイープという文字通りの遊びになったそうだ。