半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

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このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

再び男たちへ 〜塩野七生〜

再び男たちへ 〜塩野七生〜【読書/映画感想】20180510

 

1991年に発行された塩野七生氏の男たちへの辛口な本質を伝えるエッセイ。1話が短いので読みやすいが、考えこんでしまうので前に進まない 笑

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同氏の作品はヨーロッパの歴史を土台としたものが中心だが、この「再び男たちへ」もローマ時代の政治家、その言葉を例にして、本質をぐさぐさ突いてくる。だから痛快でもあるのだが、自分を省みることにもなり、考えこんでしまうのだ。

 

とりわけ第27章の「外圧について」と第37章の「国際化について」は、日本の意志決定のあらゆるとこに染みついてしまった点をよく描き出している。

 

どんなことでも、外圧でやむなくやらなければならないことはある。

氏によれば、それは古代からそうであったが、マキャベリ曰く

「政治家は、やむなくやったことでも、自分が決めた、自分の意思であるように思わせなければならない。」

ところが、日本では、

「外圧なのでやむなく」

ということを理由にする場合が多い。

外圧でやむなくやったということが、翻訳されて国外で読まれれば、当然疑問視もされる。「何故、そんな理由で国策を決めているのか?」

「何か悪だくみがあるのではないか?」

とでも思われて警戒されているウチはいいが、

「そんな腰抜けたちか」

と軽蔑に繋がらないことを願う。

 

アメリカには外務省がなく、外交は国務省が行なっているが、それは国務の一環のしての外交という位置付けになっているからである。「国際化について」でものべられているが、日本の知識人は、日本はお金を出す以外の国際貢献はするべきではないとまで言っているそうだ。外務省は積極的に活動すると国を滅すと指導されているそうだ。だからか。。。

勿論そうでないと外交官の人々がいるのは知っているが、そういう空気が蔓延しているのかもしれないなとも思える。

 

 

友人と話していると、危機管理の話の中に、相手がこう言ったから、相手が大丈夫だというから、相手がハッキリと言わないから、というセリフが出てくる。それでは、自分の意思は表示しているのかと聞くと、それは向うのいう案次第で検討するという。これなど外圧主義的な考えが身に染み付いている典型だろう。自分の案をごり押しするのは、確かに美しくないが、交渉では、自分の案があり、相手の案があって、それをすり合わせていくべきなのだ。