血か、死か、無か?【読書/映画感想】20180514
森博嗣氏の最新作Wシリーズの「血か、死か、無か?」 。
あらすじ
ヴォッシュ博士に呼ばれて行ったエジプトのネガティブプラミッドで発見されたコンピューターは外部への接続機能を持っていないようだったが、外部との通信を自作のダクトを経由した音の振動を使って行っていた。通信系をたどると南極に同タイプのコンピューター群が存在し、複数で1台の動きをしていたが、それは背後に隠されたスーパーコンピューターの隠れ蓑だった。一方、蘇生された死体が盗まれ、ハギリ博士の新しい護衛キガタをみたモレノ氏は、マガタシキ博士の子供=ミチルと見間違う。そしてホテルの地下で、ついに、ハギリ博士とウグィはマガタシキ博士と遭遇し言葉を交わす。
コンピューターのチェーン
対立するスーパーコンピューター人口知能の実体は、実は分散した複数台のそれではないかとの仮説は、まるで現代のブロックチェーンを連想させるが、ブロックチェーンがそうであるように、物理的に離れたコンピュータが一体を為して速度を出すためには、最終的には一つの回路にならないと限界があるというのは、示唆的だ。
発想の転換
ピラミッドを逆さまにして地下につくるとそれはリバースピラミッドだが、地下の建造物の集りで形成される空間がピラミッド型になるとそれはネガティブプラミッドとなる。つまり、こういうことだ。
右手上が通常のピラミッドだ。エジプトが有名なやつ。それを逆さまにつくるのがリバースピラミッドだが、そのままだと建築はできないので地下に作る。空気の部分を土にすれば成立する。ピラミッドの構成物を入れ替えたのが左上。ピラミッド型の空間。建物の中にそういう空間をつくる。そしてそれをひっくり返したのがネガティブピラミッドだ。地中なので空気ではなく、砂などで埋まってしまう。だから発見されにくい。他の建造物の間にある形は注意されにくいからだ。
その目的は不明だが、考えることのヒントとして示唆に冨む。発想の転換の大きなヒントとなる。
正義は多数決では決まらない
コンピューターが人間を攻撃する。本来は危害を加えないはずなのに。コンピューター曰く(?)、自己防衛のためには排除するという行動になる、という。これは博士はおかしいと追求するが、コンピューターは、「取り返しがつかなくなる前に対策をすることは自己防衛の範囲だ」と主張し、「ルールは投票や多数決で決めるのではなく、論理性できまる」と結論する。万が一の場合で人間が死んだらそれは原則に反するので、結果的に自分だたちがシャットダウンされるのではないか?それは自己防衛の目的を果たせないのではないか?と疑問を呈すると、「人間が死ぬ確率は低くなっている」と反論される。
多数決、民主主義、これらは、永遠の最高のシステムではない。AIの進化は、人間が仕事を奪われるというレベルではなく、民主主義自体の意味を超えて行くことにあるのかもしれない。
ところで、タイトルの、血か、死か、無か?だが、
結局、この呪文はなぞのままだ。