アベンジャーズ インフィニティウォー【読書/映画感想】20180711
あらすじ
最強の支配者サノスの野望は、全宇宙の生命を半分に減らすことだ。それは自身のふるさとの惑星で増えすぎた人口によりうまく行かなくなった住民を半減させバランスを取り戻したことから、宇宙にもそれを適用すべく、指を鳴らすだけで全宇宙の生命の半分を消し去る力を手に入れようと、インフィニティストーンを探している。ロキから手に入れたあと次の一つである石を奪うためドクターストレンジの持つタイムストーンを奪いにきた。次々と手に入れた最後の一つは、ヴィジョンの額のストーンだった。
またこれだ。
最近のストーリーは、いわゆる正義側に対して悪の側の野望や目的が、独善で自分中心ではあるものの、必ずしも的外れてもいない ー それはある種の選択肢でもある ー パターンが多い。もちろんその実施手法が”大量虐殺”である点が大きな問題ではあるが、確かに人類は増えすぎてしまい様々な弊害を生み出していることを考えさせられる。
これまでも紹介した映画や小説も、
- 例えば「キングスマン」では、麻薬撲滅を目指している。
- 「ザ・サークル」では、ネットへのプライバシー公開により秘密はなくなり、世界は平等になると主張された。
- スーパーコンピューター「ペガサス」は、人口を減らすシミュレーションを始めた。
いずれも、もしかすると正義の味方側が提案すれば、大義ある目的になるかもしれないものだ。
悪者の設定はいつも一方的だった
悪者は血も涙もないひどいやつで、周囲の誰にも優しくなく、仲間もみんな邪悪で、だから、そんなやつはこらしめてしまえ、やっつけてしまえ、叩きのめしてしまえというものであった。戦後の日本で人気を博したプロレスは、赤い顔をした巨漢レスラーが日本人にひどいことをして、それを伝家の宝刀空手チョップでなぎ倒す設定だった。
しかし、桃太郎が懲らしめる鬼ヶ島の鬼にも家族がいて、父鬼に可愛がられている小鬼の子供がいるのだ。
「取合い」は避けられない。
多分、もう、かつてのような悪の枢軸の設定は限界だ。みんな民主主義(的)でみんな国のことを考えているのだ。その手段が少し利己的であっても、結局、多かれ少なかれ「取合い」は避けられない。
友を、愛する人を失いたくないために、大切な「石」を手放すことは、愛する人を一時的に守れても、最後にはパチンと消えてなくなってしまう愚かな選択なのかもしれない。
でもきっとその選択しかできないな。それが自分の限界だ。