お父さんたちは銀座赤坂に向かう【半蔵門ビジネス雑談】20190123
学生時代の夜遊び拠点
学生時代の夜遊び拠点はもっぱら池袋。池袋ウェストゲートパークが西口公園といわれていて、通学路であり時間つぶしの場所であり、待ち合わせ場所であった時代。たまに、新宿や青山にも繰り出した。渋谷は意外にも通過点。そんなにオシャレな場所とは認識していなかったように記憶している。
会社員時代の夜遊び拠点
就職した会社が渋谷本社だったため、会社員時代の夜遊び拠点はもっぱら渋谷となった。そのころから渋谷も開発され始め、公園通りに、丸井、パルコ、ロフト、おしゃれな街に変貌を遂げる。やがてマークシティができて、ツタヤができて、バブルに向かってまっしぐら。
バブル期には、渋谷に飽きた先輩に連れられて、赤坂と六本木、青山をタクシーでハシゴ。今思えばすごかった時期だ。
お父さんの夜の遊び場
そして、結婚し子供もできて、子供達も学生になり、池袋や新宿、青山、渋谷あたりで遊び出す。
いつしか、お父さんの夜の遊び場は、赤坂や銀座に移って行く。
なぜかって?
それは渋谷、青山、新宿で、娘に出会わないように。乱れたお父さんんも女性連れのお父さんも、娘には会いたくない。出くわしたくない。
かくしてお父さんたちは銀座に向かう。
でも、時々思う。
娘たちが、
「パパのボトル、飲んじゃった。また入れておいて」
なんて言われることもちょっといいなと。