鉛筆文化とペン文化【半蔵門ビジネス雑談】20190227
60歳だが未だに大学生である。
法学部で単位を取得するために勉強し、試験を受けにいく。試験は記述式で「論ぜよ」、とか、「検討しなさい」、と言う設問が多い。答案用紙のサイズにも制限があるので、間違えたら、書き直すためには消さなければいけない。従って、消せる筆記具。。。子供の頃から慣れ親しんだ鉛筆を使って書き、消しゴムで消す。試験では、複数の鉛筆、手動の小さな鉛筆削り、そして、角のある消しゴムが必須道具だ。
消しゴムは当たり前じゃないのか?
鉛筆と消しゴム。。。これが当たり前だと思っていた。
だって海外の文房具を扱う店では、おしゃれなデザインの鉛筆が置いてある。かわいい消しゴムが置いてある。小学生のころは、特に女子たちは、そうしたかわいいものを持ってきていた記憶がある。だから、鉛筆と消しゴムは世界共通のよく使う文房具だと思っていた。
が、違うようだ。
間違えた過程も見せる
フランスでは、ボールペンだ。アメリカでもそうだと聞く。間違えた際の修正には、線を引く。そうしたくないから、よく考え慎重に書く。書いたことをなかったことにはできない。だから、書いたことは隠さず、考える過程も残しておくことになる。
この方法は、間違ったことを消しゴムで消してなかったことにすることで、最後の回答が正解であるかどうかだけが大事だという文化とは大きく異なることになる。書いたこと、起きたことをなかったことにはできない。消しゴムでは消せないからだ。
間違えも許容するように
さらに突っ込んで深く勘ぐるなら、消しゴム文化は、最後の回答が間違っていることへの厳しい対応を生み出しているかもしれない。
最後の回答があっている人の回答過程で間違いが消してあることがわかれば、最後の回答が同じ間違いだった人へも、”それは誰もが通る途中の過程”という認識となり、次のチャレンジへの温かい眼差しを産むのではないかと思うのだ。
本質は、間違えを修正しなくて済むようによく考えて書け、なのだが
今日の試験の回答では、変更箇所を消さないで二重線で消して残してきた。少し汚くなってしまったかもしれない。しかし、消し方も美しくできそうだ。二重線だらけの回答も、その考えの過程が見えれば、「回答の味わい」になるのかもしれない。
ちなみにこの試験はギリギリ合格した。ホッ。。。