「約束を守る」ということ【御散歩雑談】20190424
「約束を守ろう」というのは、広く常識的に理解され合意され同意されていると思っている。約束を守る人は信用できるというのも共通認識だ。反対に、約束が守れないというのは信用できない人になってくる。
が、
「俺(私)、約束守っているのに信用されない」
という人が少なからずいる。そういう声を聞く。また、
「約束を守っている人だな、信用できるな」と思っているのに、ふとした場面で、
「簡単に約束をやぶるな」と感じる人がいる。
なにかな、これ?このすれ違い。。。
と、もやもやと思っていたが、つい先日ある友人の行動で気がついた。
それは以下の約束の要素への認識の違い、あるいは、軽視からくるものだ。
通常、何かを約束すると、最初に浮かぶのが、
1)結果、成果の約束
だ。いつまでに何かを製造する、達成する、提出するなど、物理的、最近だと電子的な成果物を伴うものだ。なんらかの”モノ”を伴うので認識しやすいし、提出しない後ろめたさも明白なので、この約束は守られやすい。
次に約束の対象となるのは、
2)手順、プロセスの約束
だろう。どこかへ行く、誰かと会う、記録をとる、特定の手順を踏む、時間通り何かをする、など、結果的に1)の成果につながるが、結果を確実にするために、そのプロセスを約束するものだ。業務手順などがその例だし、安全管理などの業務にはつきものだ。
しかし、意外とこれが守られない、守ってもらえない場合が多いと感じる。それは、1)の結果を出せばいいのだろうという解釈からくるものだろうか。スケジュールに縛りがなく、直接的な相手との合意があればプロセスを守らなくてもよいと思っている場面をよく目にする。
これはできればいちいち約束に含みたくはない。”大人なんだからサ”という部分でもあるからだ。
そして、やや、あやふやなのが、
3)連絡、コミュニケーションの約束
連絡、コミュニケーションも2)の一部だが、これまた、いちいち細かに連絡をいれさせられたり、いれられたりするのも煩わしく、2)と同じく大人なんだからという部分だ。
すなわち、約束は、
1)結果を果たす、
2)その手順を守り履行し、
3)途中経過を連絡し、予定通り進んでいますよということを知らせる、
この3つの要素のセットで約束を守るといえると考えている。
ところが、1)だけを約束と考えている人もいるし、1)2)までが約束と考えている人もいる。
だから、1)〜3)を約束と考えている私にとっては、2)、3)をないがしろにする人は、約束を守れない人だという認識になってしまっている。
しかし、1)だけを約束と認識している人はそれで約束を守っていると考えているので、結果いつもすれ違ってしまうのである。
彼、彼女にとって、私のような考えをしている相手に対して、2)3)の約束を守らないと、信用できない人になってしまう。
その結果、
「俺、私、約束守っているのに信用されない」
と悩み、憤り、落ち込むのである。
約束を守る範囲、再考してみてよう。