アカデミー作品賞「グリーンブック」【読書/映画感想】20190510
あらすじ
グリーンブックとは、黒人が泊まれるホテルをリストにしたハンドブックだ。1960代、まだ米国南部では黒人差別が根強く残っていた時代に、天才黒人ピアニストで博士号を持つドクターシャーリーは、演奏のためにVIP待遇をされながらもレストランでは食事はできない、移動のために夜車に乗っていたという理由で逮捕されるなどの差別にあいながらも、あえてディープサウスに回ったツアーを敢行した。それは人は変われると信じ、差別を変えて行きたいという思いからだ。雇われたイタリア系用心棒兼ドライバー トニーバレロンガは、腕っ節と口のうまさが武器で、最初は金のためと割り切っていたが、演奏を聴いて本物の天才と感じ、本気で旅を共にする。
「最強のふたり」を思い出した
思い出したのは、別の映画「最強のふたり」だ。ハングライダーの事故で全身麻痺の大金持ちとその介護士となった黒人の友情の物語の映画だったが、単なる御涙頂戴ではなく、扱いにくいテーマを主題としたこと、どちらも黒人と白人の組み合わせで、最初は金のために始めるが、いずれも本気で本音でぶつかり合うことが共通している。本気でぶつかれることは羨ましい。気まずくなるのが嫌で、どこかで我慢している自分に気づかされる。
暴力は負けだという正論
黒人差別の警官に侮辱され用心棒トニーはとっさに殴ってしまい公務執行妨害っで留置される。留置場でドクターはトニーに、暴力は無意味だ、暴力をふるったら負けなんだ、その結果何もしていない自分も留置されているととトニーを責める。
しかし、腕っ節がなければ抜け出せなかったピンチもあり、腕っ節も必要だという現実もある。
結局、本気が本音を引き出した
無事に帰って来たクリスマスの夜、一人で過ごす予定だったドクターは、トニーの家にシャンパンを持って訪ねてくる。驚く一同だが、歓迎する。イタリア系家族と黒人と質屋の移民が集まってクリスマスを祝う。本気で本音でぶつかる旅だったからだろう。ここに現代の人種のるつぼニューヨークの”始まり”が始まる。
州ごとに違う差別
南部では、警官も黒人の運転手をしているトニーを軽蔑し、夜外出しているだけで逮捕され、レストランで食事ができず、バーで袋叩きにされるが、ニューヨークが近づいたハイウェイでは、警官に止められた理由が、車のタイヤのパンクを親切に指摘するためで、修理の間交通整理をしてくれて、メリークリスマスと送り出してくれた。法的に差別がまだあった時代の話だ。今でも、実際には差別はあり、アジア人である我々もそれは感じることだ。
個人的には差別はなくならないと思っている。肌の色、髪の色、瞳の色、服装、歩き方、匂い、話し方、持ち物、あらゆる違いで、違う人だと感じ、差別をしてしまう。違うことを見つけて同じだとは思わない。それが普通だ。差別をなくすのではなく、違いを認識し、それもありだと認めることが大切で、それができれば、うまくいき始めるのだ。きっと。
ケンタッキーフライドチキン
ところで旅の途中でケンタッキーフライドチキンが登場する。すでに店舗があり、庶民の人気の味として親しまれ始めていた。まだカーネルおじさんの人形は店頭にはない。手で食べるチキンを最初は敬遠していたドクターも無理やり勧められて気に入ってしまう。
そして、観客はみんなケンタッキーフライドチキンが食べたくなる。劇場の外にあるレストラン「バビーズ’」では、パンケーキの上にフライドチキンが乗ったメニューが人気になっていた。
これって、ま、まさかの!!タイアップ!!??笑