「時間のマネタイズ」に飛びつかないほうがいい【半蔵門ビジネス雑談】20191204
時間は貴重である。その貴重な時間を誰かのために提供したらなら、その対価を求めるのは正論ではある。
「XXをしてあげたんだから、その分タダ働きははいやだ。対価をいただきたい。」
しかしである。
それはその関係を、それだけで、その対価だけでとめてしまいやしないか?対価に変換しなければ、もしかすると、そのことをきっかけに異なるビジネスモデルの商売が始まるのかもしれないのに。それがその対価をはるかに超えるものになるかもしれないのに。
時間を売りその対価で満足する。それは”それだけの関係で満足する”というメッセージでもある。つまり、
「時間を売りますよ、それでいいですよ」
というメッセージ。
いうまでもなく時間は有限で、消費されたら終わりだ。対価を得ることによって、貸し借りもなくなり、関係はそこで終わってもおかしくもない。
そうではなく、刹那のマネタイズに飛びつかないで、別の形で必要なサービスを提供できないかを考えてみたらどうだろう。
例えばロボットによる自動化は旬な話題だ。
自分の時間を使って行うあるサービスを行える”それ”(ロボット)を作ることに費やしたとしても、その後そのサービスをロボットにやらせれば自分の時間はもう使わなくてすむ。しかも相手の望むサービスもロボットによって提供され対価も得られる。相手の満足は変わらず自分の時間も消費せず対価が得られ、そしてその消費しなかった時間で次の何かをする。また別のサービスを考える。自動化を考える。効率化を考える。そしてまた次のサービスで対価を得る。。。。
自分の時間を直接マネタイズすることで止まっていると、結局自分の人生時間分しか対価は得られない。対価が安い人が現れればそこへ取られてしまう。取り返すにはもっと安くするしかない。
会社を起こした友人が最初に自分の時間を売ってしまった。自分を別の会社に派遣したのだ。対価は標準より高かった。しかし、フルタイムでサービスを提供し始めてしまった。そして、サービス提供にすべての時間を費やした。次にどうするかを考える時間もなく、自動化する時間もなく、効率化を考える時間も十分になく、自分の生の時間を全て対価に変えてしまったのだ。
ある日契約が終了する。そして、彼は路頭に迷う。
次のサービスや提供先を見つけられていなかったからだ。
時間をマネタイズするのは簡単かもしれない。対価は標準より得られるかもしれない。でも、それに飛びつかないほうがいい。100%の時間を使ってはいけない。それは、未来を無償で売っているのと同じだからだ。