鬼ヶ島のせいとは限らない【半蔵門ビジネス雑談】20200131
鬼が島伝説
桃太郎の鬼が島伝説。
子供の時に物語としてTVや絵本などでも語られたことは全世代に共通していると思うが、大人になってから異論も聞くことになった。すなわち、鬼ヶ島にも生活があり、家族があり、子供がいて、友情があり、恋愛があり、事情があったのだと。鬼がいつも、平和な村に来て、略奪し悪いことをしていってひどいやつだったから、桃太郎に退治されても仕方がない、当然だということではないのだという言説。
「鬼」という”人間ではない異形のもの”だから、退治されて当然という短絡的なストーリー。戦時中の欧米人は人間ではない鬼畜生で、だから分かり合えない、退治するしかないという鬼畜米英的考え方にも通じる。
犯罪
現代でも、犯罪を犯すと
「そんなひどいことをするなんて」
「人間ではない」
「日本人ではない」
と、自分たちは正常で、そんなことをするのは、普通でないとして安心することにも通じている。
犯人は、アニメ好き、オタク、フィギアが部屋にいっぱい、少女趣味、のようなことを報道したりするのもそれに近いものがある。
誰かのせいに
なにか問題が起きた時、ついつい、誰かのせいにしたくなる。例えば、お役所仕事だとか、大企業の弊害とか、相手の能力がないとか、田舎だからとか、大都市だからとか、小企業だからとか、右寄りだからとか左翼だとか、これらは、政治でも、企業でも、サークルでも、ご近所づきあいでも、自治会でも、よく見かけることだ。
そして原因がはっきりしない時には、さらに、一括りにして、例えば、外人は、とか、ゆとりは、とか、お役人は、とかにしてしまいがち。
しかし、こうした非論理的分析と結果推定は、本当の理由や原因を見えなくしてしまう。
役人、官僚
賄賂や癒着、セクハラやパワハラが騒がれる。役人や官僚だと、こういう人は苦労がないとか、世間しらずとか、勉強ばかりしてきたからとか、金に目がくらみとか、まるで、特別に悪い人がそこにいたからその問題が発生したのだ、というトーンで報道され、そうした傾向の伝聞がニュースやワイドショーでも報道されると、これまた自分たち視聴者は正常で、罪や問題を起こした人が特異な人あるいは環境だったからということになってしまう。それは、そのほうがごくわずかな例外として安心できるからだ。仕組み的な、構造的な、みんなが保有する国民性的なことに原因があるとされると、まだこうしたことが周囲でも起きうるとなってしまうととても心配になる。だから、原因は鬼ヶ島に鬼がいるから、今の悪いことが起きているというように、原因を特殊要因にしたててしまうほうが安心できるからなのだ。
でも本当にそうなのか?
役人、官僚だって、同じように給与を得て、組織の中で働いている。お役所は頭が硬い?融通が効かない?危機感がない?利益をあげなくても安泰だから?それだと、永遠に解決はしないし、むしろ、それが答えなら絶望的にすらならないか?
頭が硬いのではなく、税金を給与原資として、すべての国民や市民の目にさらされて、働いている。行政法の中で様々な制限で働いている。やっていいこと、やってはいけないことが、「よくなればいいんだろ?」で大胆に実行できる民間企業とは違う制度の中で働いているから、融通がきかせられないし、硬く動かなければいけないのだ。だから、それを原因に持って来てしまったら、官僚や役人だってやりきれない。「民間の人にはわかってもらえない」という諦めにつながってしまう。そうならないように、本当の原因を理解した上で、民間ならではの方法で実施し、役人が取り上げやすいような既成事実を作っていくようにすることが、鬼ヶ島に鬼退治にいくより前に進める方法になるのだ。