好きじゃない言い回し【御散歩雑談】20200623
最初に言っておくが、これは特定のブログや記事やコメントを批判するものではないということはご理解いただきたい。それでも、不快に感じたら読むのを中断!でお願いします。
いずれも過去には自分でも頻繁に使っていた言い回しだ。以前は気にならなかった。むしろ好んで使っていたかもしれない。それは文章の結びとしてや、問いの投げかけ、なにより、一方的主張にならないように、あるいは、不確かなことをニュアンスとして伝えたい時に便利だったからだ。ただし、ビジネス文書にはありえない。せいぜい社内報やブログ記事、その他の雑文の時にのみ当てはまると認識していた。
ところが多くのブログやSNSへの投稿を読むようになって、そうした言い回しがやたらと気になるようになってきた。
- 〜と思うのは、私だけではない”はずだ”
批判的な意見のあとにでてくる。自分の意見と同じ意見が多いことを匂わせる。そしてそれを読んだ人もそうかなと思ってしまうことを密かに促している。そうだそうだ!という同調の反応を期待しているのかと思うとコメントは受け付けないようになっていたりする。
- 〜と思うのは私だけではない”だろう”
上と同じニュアンスだが、ただ同じ意見はないかもしれない、とも思っている。同じ意見がなかった場合の逃げを打ってる感じがちょっとズルい。
- 可能性が”ないとはいえない”
なにかの問題点や課題を指摘するときに、不安要素があるときに、あるいは批判を恐れてか、ある!と断定できずに、かといって、可能性がある、とすら断定できずに、”ないとはいえない”と2重否定。逃げてる。
- 一切、全部、絶対、まったく
こちらは反対に、100%そうだと言い切ってしまうパターン。本当にそうなら認められるが、どう考えてもそうでないことが多い。
- 世界中で、日本全国で
上と同じ。特定の国の意見で世界中というのか。偏った意見を全体のように思わせようとする。
この2種類は、煽って、慌てさせて、混乱させて、間違わせるという思惑が感じ取れるが、単にアクセスを稼ぎたいだけにも見える。
- ダルい、ダサい
これ、単純に若者に言われると傷つく。おじさんは。
- 会社が、日本が、国が、与党が、野党が
主語があるようでない。会社がといっても、会社の誰か担当者がいるはずで、日本がというもの同じ。そのまま総理大臣を指すつもりだろうか。でも、実際には官僚やスタッフが実際の案は考えているはず。いちいち自分で総理大臣や社長が細かい起案はしていない。アメリカのトランプさんみたいに、たまに自分で動く社長やトップもいるが、その場合は、アメリカがといは言わずトランプ大統領がとなるが、多くは担当スタッフが腐心している。この言い方は、原因を巨悪や陰謀に無意識に委ねようとしている。
特に日本が〜という場合、政府、政治家、官僚などが原因だとしているわけだが、そういう人はもし自分がその役目になったら同じような行動をとると思っているのだろうか。巨悪になると。それとも、今その役目にいる人がみんなダメだと。私は苦労している姿しか想像できない。私が想像力がないのか?
- 〜に悲鳴。〜に不満の声
悲鳴といえば、ぎゃー!とかきゃー!とかひえー!とかなんだろうが、記事の内容には、そんな声は書かれていないし、インタビュー映像にもそんな声はない。聞いて驚いた反応としての「えー?」のことを言っているのだろうか。
不満の声があれば、それはやってはいけないことなんだろうか?賛成の声も合わせて対比させて報道しなければいけないはずなのに、不満ばかりを引き合いに出す。〜に賛成の声というニュースは少なくとも私は聞いたことがない。
- 国民の力を結集して今こそXXX(例:消費税ゼロ)を実現しましょう
よく野党議員がブログなどでいう。またはマスコミが議員の声として記事にしている。XXXがなんであれ、国民の力で実現するということの具体的なイメージはなんなのだろう。デモのこと?あるいはSNSでみんなでバズること?
例えば消費税をゼロにするには、国民の代表すなわち議員がまずは法案を出し、その前に根回しをして数を集め、国会で議論して多数決で勝ち取るわけだが、そのために、国民の力をどう結集するのか、どういう状態が結集というのか、デモなのか、リコールなのか、嘆願書なのか、総選挙なのか、そのイメージがないので、言葉だけの掛け声だけのことだというのは、バレてる。
大人気ないとは思いつつ、こうした言い回しを発見すると内容に関わらず信憑性を疑ってしまう。自分も以前は使っていたことは棚に上げてだけどね。