半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

幽霊を創出したのは誰か? 森博嗣 著

幽霊を創出したのは誰か? 森博嗣 著【読書/映画鑑賞】20200814

 

グアトとロジは近くの国立公園での幽霊出没の噂を耳にする。ピクニックで出かけると、ロベルトとリンダの幽霊らしき男女に遭遇するが、接触したものの見失う。やがて訪ねてきた大富豪の老人に招かれ、邸宅に招待されるが、そこでホログラムのリンダと遭遇、さらに、運転手のウォーカロンに老人が撃たれる。助けようとしたロジも怪我をし、老人は一命を取り止めるが病院からいなくなる。書斎に残された杖からグアトはある推察をしジェット機で南米に向かい発見する。テクノロジーで解決できない兄弟の確執と人間の存在への疑問。派手ではない考えさせられる。しかし何から考えればいいのか。

 

 

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登場する幽霊の秘密はネタバレなので控えよう。

 

さて、幽霊とはなんなのか?

宗教的には、心残りがあって成仏できなかった人の魂があの世にいけずこの世を浮遊する、それが関係する人に見えるということらしいが、魂とは、あの世とは、これらの定義もまた宗教的なためはっきりとはせず、さらに、魂とは心なのでは、心とは?では脳の記憶や機能ではないのか、とか、未定義の概念をそのまま考えるから、話は永遠に拡散する。

心残りが幽霊として残る条件ならば、この世は幽霊だらけになりそう。突然の病死や交通事故、そうでなくてももう少し生きたかった人だらけじゃないかと思う。

霊感のある友達が、「部屋の隅の上のほうに霊魂がいっぱい」などと家飲みでつぶやいて、それ以来その部屋にはいけなくなったが、幽霊は見えなくても、もうそれで幽霊がいる前提の私の行動は、幽霊がいようといまいと成り立っている。

ホログラムは随分と実用化されているが、現代なら、ちょっとした光の角度とホログラムでそれらしき幽霊姿をみせることは可能だ。物理的科学的根拠のある幽霊演出もできるだろう。それを幽霊というかどかは別として。

そもそも幽霊のイメージだって正解がないわけだから映画かなにかの最初のイメージが植えつけられている。透き通っている、足がない、頭に白三角。。etc.。。。

生きている側が、亡くなった人ともう一度あいたくて思い焦がれて、それらしき姿を見たという話もある。その姿は第三者には見えているのだろうか。本人だけに見えているのなら、脳内でそのように空目状態を作りだしているかもしれない。それは会いたい念がそういう錯覚をさせるのだろうか。それだって幽霊だ。

第三者に見てもらうために出現するとしたらその幽霊の目的はなんなのだろう。幽霊の存在を広めたい?w それとも心残りを広く認識してもらいたい?人間はそうした承認欲求や自己顕示を持つことから考えると、死んでなおそうしたいという場合もなきにしも’、である。だとすれば幽霊はなんと人間的か。

 

その昔、魂が死んだ人から抜けるという仮説の証明で、死の直後に体重が減るということを証明しようとした人がいたと聞くが、水分が蒸発すれば重さも減るだろうから、体重仮説では常に魂が抜けたということになってしまう。

 

心が魂なら、記憶もそこに含まれるのだろうか。それなら空気中には記憶にあふれた魂が飛び交うのか。まるで、Wifiに乗った検索データベースじゃないか。