「面倒臭いナ」を考えてみると【御散歩雑談】20201102
コンビニやスーパーにおけるプラスティックバッグの有料化から3ヶ月が経過し、持参する人もしない人も、客側、店側共に慣れてきたというところではないかな。
「袋あります」
「袋お願いします」
「袋お持ちですか?」
という会話にも慣れが出てきて、その件で揉めている光景も見かけなくなっている。
私もカバンには取引先からいただいたエコバッグが常時入っている。ランチのコンビニ買い出しも、帰宅途中の買い物にも、活躍している。
先日、こんな会話が耳に入った。
「エコバッグは?」
「あ、忘れてきた」
「いつも持ってないとね」
「いや、エコバッグ面倒臭いじゃん!」
そして後日私もエコバッグを忘れて買い物にいって、袋を有料でつけたのだが、その時に同じ感覚がよぎった。
エコバッグ面倒。。。
でも冷静になるとおかしな感覚だ。すでにエコバッグを調達してカバンに入っているし、何度も忘れずに持ってきて使っている。むしろ、ちょうどいいエコバッグを選定して用意してカバンにいれるほうが持ち出すよりはるかに面倒なのに、そのハードルは超えているのに、たった1度の持ち出し忘れが、「面倒」という表現(感情か)につながってくるとは。
エコバッグは面倒なのか?
持ってくるのが本当に面倒なのか?
見かけた事例でも、自分の場合でも、持ってくるのが面倒のように発言し振舞っているが、一番面倒であったはずの準備ハードルは越えているのだから、面倒とは思っていないはずなのだ。思うに、実は、面倒なのは、準備や持ってくることそのものではなく、それを標準にすること、変化することを当たり前にすることが面倒なのではないかと考える。
自分の行動パターンを変えることは確かに面倒だ。
思えば、面倒臭いと思うことは多々ある。もしかすると同じ理由かもしれない。
そのこと、そのものよりも、変化することが面倒。。。
面倒臭いと思ったら、何が面倒なのかをよく考えてみればいい。
そのこと、そのものが面倒くさいのは改善の余地があるかもしれない。
変化すること自体を止めなければその先があるのサ。