半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、たまにロードレーサーの話題など、半蔵門付近を歩きながら雑談するようにリラックスしたお話中心。

仕事の結果に人格はない

仕事の結果に人格はない【半蔵門ビジネス雑談】20201214

 

仕事は、うまくいくように頑張っていても失敗、あるいは失敗とみなされる状態になることがある。それは仕方がない。相手もあり、環境もあり、運もあり、実際にヘマすることもある。

 

自分がやっていたことが失敗する

自分がやっていたことが失敗すると、当然自分では自分の責任だと感じる。なかにはそのままほっぽって逃げ出すなんていう人もいるだろう。多くは、これは”すべてを”自分でどうにかしなくてはと、周囲に迷惑をかけないようにと、自分だけでなんとか押さえ込もうと思ったりもする。

 

誰かがやっていたことが失敗

誰かがやっていたことが失敗すると、関係のない人はその誰かの責任だと感じるだろう。ついつい、自分は知らない、だから責任はない、対処にも関わりたくないし、関われないと知らんぷりを決め込むという場合もあろう。自分にも被害影響が及べば、直接の担当者を責め立てることになるかもしれない。いまになれば、恥ずかしいし、悪いことをしたなと自省するが、自分でもそうした、人のせいにした、そういう態度だった経験がある。

 

組織でやるなら「仕事の結果に人格はない」

どちらも心情的には理解できるし、そうなる傾向なのだろうことは理解する。逆にそうならないほうが難しいかもしれない。難しいだろう。

本来は、例え特定個人が一人で成し遂げた仕事でも、仕事=会社=組織で行なっていることなので、組織としての対応が必要なのだ。その意味では、

 

「仕事の結果に人格はない」といえる。

 そう考えなければ組織の仕事でもやった人が責任をとることにしかならない。

では失敗の処理はどうするか。

 

責任の所在は明らかにするが

直接の対応をした担当者が行なった行為、施策などが影響していることは当然あるが、その行為施策に至る意思決定は適切だったのか?一人に任せっぱなしにしていなかったのか?一人で行うことに無理はなかったのか?支援を持ちかけなかったのか?支援が必要なことに思い至らなかったのか?

 

対応策は責任者だけではない

責任の所在が明確になり、なんからの対応が必要である場合、その対処方法も、責任者任せ、担当者任せになることも次の落とし穴だ。仕事の結果に人格はない。失敗した後の対処にも人格をもたせず、適任が適切に対処するべきなのだ。対応策にも「組織の意思」が現れる。

  • 正確に正論で対応する場合もあろうし、
  • さっさとお金で解決してしまうこともあるだろう。

その解決方法にも組織の考え方がにじみ出る。例え組織として対応していなくても、その対応方法は外部から見れば組織の意思と捉えられる。

 

今後に生かすために防止策だけでなく

失敗という言葉面から今後を考えると、「防止策」といいたくなるが、必ずしも、防止できる行動が原因でない場合もある。都度、最適解を選んできても最終的に失敗することはある。そのためにも、対応策の土台となる組織としての考え方、判断の仕方が大事である。お金だけという判断基準ももちろんありうる。しかし、それは組織として、「この組織は判断基準がお金である、お金で解決する」というメッセージを残すことになる。

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ずっと以前に、取引先から売上金の振込手数料の負担を持ちかけられた。

振込手数料は本来的には持参債務の支払い手段にかかる費用であり、振込側が負担すべきものだ。(振込手数料はご負担ください)というやつだ。もともとは支払い金を持参して払いに行く場合の交通費を誰が負担したかという問題だ。それに対して、支払い側が負担することに同意せよという誓約書が送られてきた。弁護士に相談し、”本来は前述の通りだが、「取引関係維持のために負担するという判断もある」”とアドバイスを受けた。それでも、大きな企業が小さいな企業に取引関係維持を餌に負担を強いることに納得がいかず、丁重にお断りした。結果、やはり、取引は打ち切られた。しかし、それでよかったと思っている。金銭的には打撃があるが、自社としての筋は通したと思っている。

 

仕事の結果、特に失敗の対応に人格はないが、組織の意思が現れる。