「お前も声をあげろよ」と言われるが【御散歩雑談】20210216
先々週から先週、オリンピック関連で森氏の発言(失言?)がSNSで(私はFacebookなのでそこで)でいろいろと取り上げられた記事がタイムライン上位によく見られた。マスコミ記事、政治家意見ブログ、ブロガーなどが多いわけだが、それを引用した人の記事も多く、その中には、「なぜみんな声をあげないのか、世界に恥ずかしい、黙っているのはおかしいetc」のアピールもたくさん見られた。これらは、Facebookの性質上、名指しはしなくても、私宛のメッセージと受け止めることになる。
あ、なお、 そういうの書かないでというわけでは無く、こちらの事情で反応しないすよ、という言い訳をしてます。 笑
私にとってFacebookなどSNS
私とて、人種差別も性差別もいけないと思っているし、ヘイトスピーチも好きでないよ。ダメだよ。けれどそれに対してFacebookあたりで声をあげることに即応するかというとそれはするつもりはまったくない。私にとってFacebookやほかのSNSは、自分の仕事の宣伝や報告ツールであり、海外との仕事関係者との連絡やコミュニケーションツールであり、気のおけない友人との雑談ツールであり、ふるさとの友人の近況を知る手段であり、決して主義主張を声高に宣言し、自分のポジショントークを展開するためのツールではないからだ。
仮にSNSで主義主張をいうことにしたとすると
でもし仮にSNSで主義主張をいうことにしたとしよう。主義主張をいうのは、その考えを伝えどこかに届けてなんらかの動きにしたいからだ。森氏の例なら辞任においこむとかだ。ということは、届ける数と届ける先が重要だ。自分のフォロワー数。。数百もない。
どこまで自覚しているか
自分のFacebookでの影響力をどこまで自覚しているかというとそこまで。仮に期待するなら、その数百のフォロワーの中に、数万のフォロワーを持つ人がいて、「万代の意見すばらしい」と自分のフォロワーに届けてくれるかどうか。だが、その有名な人が無名な人の意見を拡散したときの効果も限定的だ。もう完全に他力本願しかない。しかも全くの不確定
しかるべき具体的な行動や活動に届くような作戦
やるならきっちり道筋を考えないといかんと思っている。その自分の意見主張をFacebookでどうしたいか。いいねが自分のフォロワーを超えてつき、シェアが広がり、引用され、リアルな議論にも反映され。。。るかもしれない。あくまでかもしれないなんだ。来週には埋もれてしまうかもしれない。意見がしかるべき発信者に届くように仕掛けて作戦をたてることが必要なんだと考える。
そこまで意図していかなかないと
そこまで意図しないとこの脊髄反射の怒りのテキストは消え失せる。こう考えると深夜のタイプも手が止まる。
自分としての方法、ルートはこっちだ
もし、具体的に効果をあげるべきと思ったならちゃんと政治活動などに結び付けたい。初めていうかもしれないが、そのために自身は、正式に政党の党員であり党費も納めて、必要とあれば投票もしているし、アンケートにも回答し、意見を届けるルートは確保している。
というわけで、自分がソーシャルメディアでレディーガガくらいの影響力を持っているなら、Facebookでなにか叫ぶかもしれないが、そうではないので、それが届く可能性のある方向に力を使うことにしている次第である。