週末メールの功罪【たまプラビジネス余談放談】20220118
電子メールと携帯電話を初めて手にした1996年ごろ、その利便性にワクワクし、会社にいなくても嬉々としてメールを受信してなるべく速いレスポンスを誇っていた時期がある。普通の休日だけでなく、家族と旅行に出た週末でさえ、あちこちでメールを受信して「ごめん、仕事。。。」とメールを返信した。家族もしぶしぶと承諾してくれた。「どこでも働ける」という前向きな言葉は、「どこにいても追い回される」ことを意味することにまだ気づいていないお花畑の頃だ。まだこうしたノマド的ワークスタイルも珍しかった。
25年の時を経て、その位置づけは変わっている。仕事用の携帯と個人用の携帯二台持ちも一般化し、複数メールアカウントも一台の携帯(スマホ)でまとめて受信できるし、メール内に示されたURLなどへアクセスすることも可能だし、共有ホルダの参照で文書やスプレッドシートへのアクセス、編集までも可能となった。”可能”という意味も、「できなくはないですよ」ではなく、「支障なくできるレベル」になっている。また、「どこにいても追い回される」のではなく、もう少し人間が自由に制御できる方向になった。休日メールを送信受信することを禁止する企業もある。
中には相変わらずメールをトリガーに休日でも、週末でも仕事をする人もいるだろう。機器が便利になったのはそうしたニーズも根強いことを示している。
しかし、24時間戦えますかの企業戦士、仕事人間モードではなく、しっかり休んで、しっかり仕事をする流れも着実だ。
私個人的には、休日でもメールを受信するが、以前のように追い回されることにはなっていない。仕事先にはイスラエル企業もあり、週末が金土の彼等は日曜から通常メールを送ってくる。催促メールがくることもある。それでも、メールに急かされて仕事はしない。急かしてきても、急かされない。
週末メールの使い方で正解なのは、メールは見るがそれに対して動くのではなく、ただ心の準備だけをすること。重たい内容のメールを月曜の朝一に初めて目にしてショックを受け、慌ててスケジュールを組み「週末にメールを見られたら」と後悔するのではなく、心にだけは余裕を持って動き、相手には「昨日までは週末だったのでメールは今見たよ、これからやるからできるのはXX日だよ」と(週末送ってきて結果を月曜に得ようとしても無駄だよ〜ん)を言外に漂わせる。
送る立場でもそういうつもりで。金曜の帰り際にメールを送って帰宅するのは無意識にブラック環境をばら撒いていることを肝に銘じよう。
お互いにね。