「平和主義」とは”平和”のために”祈る”だけでなく【御散歩雑談】20220322
ロシア・ウクライナの戦争はまだ続いている。
改めて平和や戦争について考える。考えるべきだ。戦争はいけない。それは避けたい。避けるにはどうするのか。戦うのを放棄することで防げるのだろうか。
あのヒトラーの言葉。
「戦争を仕掛ける相手をどうやって決めるかって?それは、和平交渉をしたがっている相手とやるんだ。戦う気がなく戦う気力もなく話し合いで収めようとする腰抜けに仕掛けるのだ。」
イスラエルの友人。
「万代さん、さて戦車でどう戦うか?」と聞いて来た。私は戦車で戦うためにどうするか答える。友人は、「万代さん、戦車で戦っている時点でもう随分領土まで攻め込まれているよね。それを考える時点で負けている。戦車で戦わないように考えるのが戦略だ」
攻め込まれないように、攻めようと考えさせないように、しないといけない。つまり空軍と海軍で、防衛システムで、戦う前にあきらめさせるかが最大のポイントだという。
映画「ジョン・ウィック」で、主席連合の支配人が戦いの始まりでつぶやく。
「平和を願うか?では戦いに備えよ。」
戦いに備えていることを見せることでのみ、戦いを避けて、平和を維持することができる。
ウクライナは戦う気なんてなかった。でも、戦争を仕掛けられ、話し合いで決着しようとし、NATOに加盟して「攻めてくるなよ」と訴えようとした。でも、侵攻されている。
同盟を結んで強い同盟国に守ってもらえるから攻められないか?
どうしてウクライナに米国は派兵しないのか?どうしてNATOは派兵しないのか?それは派兵したら、ロシアと戦うことになり、世界大戦を引き起こす恐れがあるからだ。こうなると「同盟が意味をなすかどうか、またその限界」は再考しなければならない。
日本には日米同盟があるじゃないか。
攻められれば守ってくれるはず。はず?しかし、ウクライナと同じ状況もありえるのではないか。もし相手が、ロシアだったら?中国だったら?やはり世界大戦を引き起こす恐れがあるから、派兵されない可能性はある。同盟があっても同じ判断がなされる可能性は高い。核を持っている国同士は結局戦わない。
もしかするとロシアは前述の理由で民主主義国家たちを敵にまわしても直接戦うことはないと踏んだのか。
結局、自力で戦えるように備えるしかないのではないか。
スイスが中立国でいられるのは強力な軍隊を持つからだ。核の保有。米国の核の傘は、米国と敵対する核保有国に対して意味はあるのか。
平和主義とは、平和のために、いかなる努力も厭わないことを、平和を勝ち取る意志を示すことを意味する。平和主義とは平和宣言のみではなし得ない。