半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

”会社”が動いた、”国”が動いたという文章のリアリティの無さ(はてな記事 2616)

”会社”が動いた、”国”が動いたという文章のリアリティの無さ【たまプラビジネス余談放談】 20220601(はてな記事 2616)

 

若い頃、企画部門で最初の社内報の記事を任せられた。フレックスタイム制が導入されたことを記事にしたものだった。力んで一生懸命書いた。残業して夜までかかって部門長にチェックしてもらおうと持って行った。少し読んで部長の顔色が変わる。

 

「ついに会社が動いた。遅ればせながら当社でもフレックスタイム制が導入されることになった。」

「なんだこれ?”会社”が動いた?恥ずかしい。月並みのなんの工夫もないアジビラの煽り文章か?ダメ!」と激しく赤ペンで消された。

 

そうだ。

 

”会社”は勝手には動かない。”部門”も勝手には何も始めない。そこには、必ず誰かが、企画し、起案し、承認プロセスを経て、実行計画をたて、文書化し、各部へ協力依頼し、指示を出し、そして具体的な行動として、部門長の責任発信文書として、行動開始されている。”国”だってそうだ。「”国家”が動き出した」という雑誌の記事タイトルに見かけるフレーズも、同じように”国”という概念が勝手に動くはずもなく、そこには人がいる。政府といいかえても同じこと。全部一絡げにしてそこにいる人全部が悪いような、あるいは、人はいなくて得体の知れない悪意や陰謀による何かがそうしているような印象操作的な煽りはゴシップ雑誌で沢山だ。

会社とか国とか、なんとリアリティのないこと。そのリアリティのなさは、思考停止を助長する。誰かを特定しないが故、無意識に誹謗中傷的な攻撃がやりやすくなっていく。自分が最初に書いた時にも、そんな意識が働いていたのだと思う。たぶん働いていた。深く考えていなかった。世の中ではすでにフレックスタイムは導入され、自分の所属する会社での実施がとても遅い時期だったことを批判したかったのだと思い出す。

会社は、搾取する資本家の代名詞で、国、国家は独裁により支配する支配者の代名詞だったのだろう。それを批判する立場の報道機関が好んで使ったのか、これらの表現は誰もがどこかで聞いたことがあるが故、耳触りがよく、主語としても全体を表していて、間違いがなさそうである。しかし、主語としては本当に言いたい意味を見誤らせる。

 

冒頭フレックスタイム制の記事も、本来社内報で知らせるべきは、その制度の運用の実際、メリット、注意点であったはず。しかし、「会社が動いた」という1フレーズは、いかにも動きが遅い会社、社員のためを考えない会社、資本家による搾取をする会社という含みを囲みカッコ内に持たせることになる。それよりも記事が伝えるべきは、何故導入がこの時期になったか、どんな検討がなされてきたのか、何を特徴にしているのか、社員にどのような効果があり、何を注意してもらうべきなのか、などであるのに。

 

報道の文章だけでなく、ほかの文章でも、あるいは私のように単に不注意でその言葉を使っているかもしれないが、主語によって、その主語の使われ方によって、意味するところ主張するところが違ってくる。

よーくみて、よーく考えて、よーく意味を読み取っていくようにしたい。

6月の始まりである。

(はてな記事 2616)