「それ以外にも方法があるはずだ」という思考停止【御散歩雑談】20220713
麻生大臣の発言がまた取り上げられているが、私は基本賛成だ。
発言の主旨は、国が責められないために”強そう”にならなければということだ。”強くなる”とはいわず、”強そう”にといっている。軍備のことを言っていると短絡的に捉えられて批判されているが、実は情報戦のことを言っている。”強そう”にみせる。軍備情報だけでなく同盟やら個別の国との会談やら外交的発言やら、そういうことを言っている。”力で対抗”するのではなく、”力があるように見せる”ことで、攻められなくすることを言っている。
これを捉えて、武力、武器、軍備増強と捉えて批判するのは以前からあるが、そういう発言の文章の結びによくでてくる「他にも方法があるはずだ」という言葉。他の方法とはなんだ?他の方法は本当にあるのか?あるのならそれを具体的に述べたり、進めればいいのだ。単に「他にも方法があるはずだ」は思考停止に過ぎない。
以前の記事から抜粋。
ヒットラーの言葉として紹介されている会話が示唆的だ。
「諸君、必勝の戦争とはなにか?
それは戦争をしたくない相手とすることだ。
平和が好きで闘いの準備などしたくない相手を選ぶのだ。
だから我らはイギリスを選んだ」
ただしチェンバレン首相はそうだったが、ウィンストンチャーチルの戦う意思に屈した。
www.odr-room.netあいて相手を攻める必要はない、強そうに見せるのだ、攻めさせないようにするだけだ。
そうするための「それ以外の方法」を聞きたい。知りたい。
加えて「それ以外にも方法があるはずだ」という思考停止が一番危険。施政者の苦渋の”判断”と決断を批判して、解決策を提案しているように見えて、実は何もしていない。いざ、そうなったとき、コトが起きたときに、先延ばしした決断をまた批判するだけの思考停止にはならないと決めている。今ある方法の実行を決断しよう。