紛争でしたら八田まで(11)【読書/映画感想】20221127
10巻までは表示の背景が白だったが11巻はカラフルに。意図あり?
舞台は、ゲリラとの闘争から立ち直ったコロンビアで、地域開発を妨げる残党のゲリラの調査とプロジェクトを進めるための提案に向かう八田百合。NPOの青年とのギャル風元警官のボディガード、そして元ゲリラリーダーで政治家。いろいろ裏がありそうな気配。
地形的特徴により都市開発、政府支援が及ばない地域では、政府への不満も高まり、政治家も出にくい。要求を通すためのゲリラ的活動に走る。仕事、金を得るための非合法コカイン栽培、ゲリラへの強制徴兵、暴力の連鎖、政府との合意も”裏切り”と見做し、また連鎖する暴力。コカイン栽培をやめても結局生活が成り立たないのでそこに戻ってしまう負の連鎖。解消するにはどこかの責任にしないで、障害があることを前提に乗り越える覚悟で、地域、政府が総力で取り組むしかない、”計画に不備が”という責任転嫁をしないで、それをも乗り越える覚悟がいる。
この出口のない迷路のような状況は、何も貧困地域、紛争地域だけではない。日本の高齢者社会にもつながるものがある。
例えば、増加する高齢者の運転による事故を見て、報道では「免許返納、インフラ支援、家族の説得、周囲の協力」などと正論が叫ばれるが、なぜ高齢者が車に乗ってしまっているのか。乗らざるを得ないのか。本人が運転が好きだからとか運転をあきらめないとか、歳とったことを認めないとか、そういうことじゃない。
地方には車でないといけないことが多いからだ。コンビニ遠い、公共機関を整備してもバス停遠い、電車少ない、駅まではバス、送迎できる子供たちは都会にいる、彼らにも生活や事情があり月2、3回帰省するのがやっとだ、ご近所も高齢化、親戚も高齢化、ゴミ集積所だって歩いていくのも大変。なぜ子供たちは都会にいるかって?地域には産業がない、仕事がない、商売する市場がない。つまりインフラか周囲の支援か、どちらかを解決しなければ、老人が引きこもるか、家族が現在の生活、収入を捨てて貧困の老々介護になるか。
愚痴を言っても始まらない。誰かのせいにしても意味がない。わかっているのはこの迷路を抜けるためには、動き続けなければならないということ。