”教えない”という教育【御散歩雑談】20221214
マレーシアでは「教えない教師」が優秀とされるそうだ。
3R(よみかきそろばん)から4C(コミュニケーション批判的思考共同創造)へ
マレーシアで主流の教育現場は、これまでの3R(よみReading, 書きWriting, そろばんArithmatic)から4C(Communication, Critical thinking, Collaboration, Creativity)の能力を育成する方向にシフトしている。
我々の世代が受けてきたのは、
- 知識の豊富な先生がその内容を講義して伝授し、
- 生徒は授業でそれを学び、
- 試験で確認する
というのが教育現場でのベースだったと思う。しかし前述の記事にあるのは、
- 考えるべきことを提示され、
- 生徒は自分なりに事実や論文などを調べて、
- 他の人の意見を聞き、
- その違いを認識したうえで、
- 議論していく
のだそうだ。
正しさを争わない
そして議論では、「なにが正しいかではなく知識を共有する、議論は正しさを争う場所ではない」という。議論をして喧嘩になるのは、正しさを争っているからだ。共有するための議論なら新しい知識を知ったということで、それをどう活かすかはまた別の話だ。実際世界は答えが一つでない問題に溢れている。記事からの例題。
「インドネシアには、収入のすべてがたばこ工場に依存する村があります。彼らはたばこがなくなると餓死します。一方で、人口の 90% が喫煙し、肺がんの発生率が非常に高い別の都市があります。では『喫煙は悪いことかどうか』について議論をしてください 」
ポイントは、一つの正解を求めるのではなく、答えが一つでないことが前提で違い意見の存在を認識し、どちらかが間違っているという追求ではなく、その意見を闇雲に受け入れるのではなく許容した上で、それぞれの立場での行動を考えていくことにある。
- 単純正論では、喫煙で肺がんが発生し、死亡率が高いので、喫煙はよくない。だからやめよう。たばこ撲滅。しかし、たばこがなくなればあるいは消費されなくなれば、たばこに依存する村は餓死するので、ここには他の産業を育てる。しかし、産業が育つのに時間がかかるので、政府なりがそれまでの支援をする。ここに税金を使うのを許容する。永遠にというわけにはいかないので期限を切る。期限切れても産業が育成されない場合はどうするか?
- 肺がんの発生率が高い都市はたばこをやめるべき。辞めた結果たばこ依存の村が経済的影響を受けるならはの都市にたばこを売るようにするという経済問題と捉えるか?
- がんにつながらないタバコ開発、あるいは肺がんの特効薬開発
何が正解か?ではなく、あなたはどう思う?どう考える?が永遠に問い続けられる。しかし、さらに問題なのは、永遠に考え続けるのか?という問い。終わる前になにかをしなければならない場合どうするか?解決しなければ一つの村が終わるかもしれない。やはり一つの正解を求めることになるのではないか?