どんな年になるのか【たまプラビジネス余談放談】20230117
歳の始めの話題の典型の一つは「今年はどんな年になるでしょうか?」だ。
楽観的な、悲観的な、お気楽な、通り一遍な、型破りな、ありえそうな、ありえそうもない、奇を衒ったような、。。。科学的なものもあれば、期待のみでできているものもあり、未来は、結局”どれか”はあたるだろうということになるのだろうが、そんなものの一つとしての今年はどんな年になるのかについて。
新しい戦前
徹子の部屋で年末のゲストのタモリさんが同じように問われて答えた。
「新しい戦前になるんじゃないでしょうか?」
ハッとした。言われてみれば世相はそんな方向に向かっているじゃないか。ただ、この”戦”については必ずしも戦争だけではないだろう。ウィルスとの戦い、不況との戦い、差別との戦い、”いいね”との戦い。。。結局、世はなんらかの戦いに満ちているのが真相だと思える。ウクライナ戦争はもしかすると米中日英を巻き込んでしまうかもしれない。戦闘でなくても少なくとも経済ではひどい戦いになる気配は濃厚だ。
誰のための未来か
WIREDの2023年版 The World In 2023の冒頭では、
「本当に残るものはなんなのか」と問う。それは未来の一つの予測の姿である。稼げるだけ稼ぎ、そのほぼ全てを最も効果的な慈善活動に寄付する。稼ぐのは結局戦いだ。誰かの大儲けは、誰かの大損または全体からの少しずつの徴収の結果に過ぎない。だからその儲けは寄付する。ノブレスオブリージュ。
もう一つの見方としては、「それは誰のための未来なのか」を考えるということでもある。誰のための未来か。誰かの描く幸福な未来は、別の誰かからの搾取かもしれないし、誰かの満足は他の誰かに我慢を強いているのかもしれない。未来を描くことは平和とは限らない。
選挙は一票が最終形か
それとは別に思うのは、一人一票の制度は現実に則しているかということ。政党や主張について部分的に支持することは多い。ある課題については別の政党の主張に共感することもある。その意味では、投票が複数できてその結果の多数決のほうがより民意を反映しているとも考えられる。政党の争いではなく主張の争い。政策Aには賛成だが政策Bには反対しかし政党Bの政策1には賛成ということもある。そのほうがしっかり考え、その意思を反映させられる。アンケートの複数回答可みたいに。ただこれだと”ひとつの政党”を選ぶというシステムではダメかもしれないが。
どんな未来、どのな年になるか。タモリの言う「新しい戦前」のように、「ちゃんと戦い始める年の始め」になるように思う。それにつけても、英国ジョンソン首相の最後の言葉、Hasta La Vista, Baby!! (地獄で会おうぜ!ベイビー)は秀逸だった。自分がやめたあとも大変な時は続く。もしかすると地獄で遭うかもな?という未来予言?