東京都同情塔 九段理江 芥川賞受賞作【読書/映画感想】20240826
父の遺品整理で書籍類を進めている。読書好きだった父は、芥川賞や直木賞が発表されると書店に頼んであったようで、ある時期までほとんどの作品が書棚に眠っていた。文庫でなくハードカバーなので量(カサ)があり、保管も場所をとる。メルカリなどで売り始めたが、”徳川家康初版本全巻”や”おしんの初版”などはすぐ買い手がついたが、”源氏物語全巻”は第4刷のせいかまだ売れない。
そのほかにも数十冊、こつこつと売っているがそのうちまとめてブックオフかもしれない。整理しているうちに感化されたせいか、最近の受賞作を読んでみるかと思い立ち、芥川賞受賞作の「東京都同情塔 著:九段理江」の文藝春秋掲載版を読み始めた。そして読み終えた。
小学生の頃だと感想文は、まず、あらすじを書き、印象に残ったところについて自分の感想を書いたものだが、それは先生に、「誰かが”読んでみたい”と思うような感想をかけ」と言われて、褒められていた誰かの感想文を真似してそうなっただけだ。実際に小説を読んで心に浮かぶ感想は本編のスジとは関係の薄いものだったりもする。
同作品は、「生成AIに書かせた」だの、「AIに書かせた文章を実際に掲載した」だの、ブームだった生成AIに便乗?派生?した取り上げられ方をしたので、丁度AIに興味もあったところでそんな興味で読み始めていた。
実際には、”ツール”として生成AIが登場する。本文のどこかに生成AIが書いた文章が使われているのかもしれないが、それは本人が言わなければわからないだろう。寧ろ、そのことがテーマの一つにもなっているかもしれない。生成AIに、「この文章を〜のように仕上げて」と生成AIに指示するくだりもある。
昨今の、平等、非差別主義、完璧主義、〜ハラスメント、それらにまつわる揚げ足取り、にうんざりしている時代で、犯罪者さえ、同情すべき人々として、”臭い飯”の拘置所ではなく、都心に建てられたタワーに、ベーシックインカムの実験のように給付されるお金で、好きなものを購入して、快適に暮らせる場所「東京都同情塔」で税金で暮らすこと、それに対する非難ですらハラスメント的な非難を受ける世界では、すべての発言が生成AI経由になって、揚げ足もとられず非難もされず、すなわち、誰の心にも刺さらない文化世界は、読後の不整脈のような、そわそわする不安感、しかしなんの病的症状も自覚できないそんな感じ、を抱き抱える今である。