半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

ベトナムカフェが羨ましい

ベトナムカフェが羨ましい【たまプラビジネス余談放談】20250318

 

以前は関連する会議にベトナム政府筋がいて仲良くなっていたこともあり、訪ベトナムの頻度が高かった。ハノイ、ホーチミン、ダナンと主要な都市は1週間ずつだが滞在し、ベトナム戦争の残骸の観光地とか、連れて行ったもらったが、コロナ前後からは遠ざかってしまった。

 

友人のエッセイ

20世紀終わり頃からの仕事つながりの友人でベトナム在住(現在は日本に帰国中)の経営者でライターの中安さんの連載 ベトナムカフェ物語|note は、ベトナムの生活、その中心の一つであるカフェにまつわるエッセイである。ホッコリしたり、考えさせられたり、羨ましがったりさせてくれる。その一話に「名前で呼び合う間柄」という一編がある。カフェ店員さんと名前で呼び合い親しくしている。ベトナムではごく普通のことであるという。コミュニケーションは個人と個人の交流が土台だということがよくわかる話である。

 

日本では名札をなくすらしい

ところで日本では、店員の名札を外す方向のお店もあるそうだ。ネット上で実名でバッシングされたり、ストーカー行為につながることから店員を守るためだそうな。確かにそうしないと安心できない風潮であることは確かだ。ただ自分の記憶では、日本でも以前は名前で呼び合うのが普通だったように思うが、どうしてこういうことになってきたのか。

 

匿名化が進み、無責任に拍車をかけ

名札はずしは一種の匿名化である。匿名化はネットでのプライバシーを守る主要な手段の一つだ。確かに匿名化によってプライバシーは守れるのかもしれない。しかし匿名掲示板での誹謗中傷が表すように、その守られた権利に隠れて横暴を働くことも可能になった。守られた無責任に変化してしまったのか。”プライバシー守る”という言葉で思考停止しているように思う。

 

”動く”のはつきつめれば個人だ

以前、広報部門にいたとき、社内報にある記事を書いた。部門長に承認をもらいにいったらひどく叱られた。「”会社が動き始めた”?なんだこの文章は?会社は動かない。動いたのはどこかの部門だ。その部門を動かしているのは人間だ。その事実をキチンと書くべきだ。」という意味だった。

 

コミュニケーション、個人名、匿名化、無責任

会社の指示で、とか、政府の方針、とか、個人名が消えた表現は昔から耳にするが、問題が起きた時、責任者名が出てこない。これもプライバシー保護なのか?犯罪者ですら出てこないことがある。日本は、プライバシーを守り、責任回避をするあまり、匿名化し、個人を隠し、コミュニケーションを阻害してしまうのだろうか。

 

以前こんな記事を書いた。

「名前を”覚え”て”呼ぶ”ことによるリスペクト」についてだ。

www.odr-room.netプライバシーを守ることは重要だ。しかし、社会を構成し、動かすのが人間一人一人であり、コミュニケーションをとる以上、相互の理解とリスペクトも同じように重要だ。ベトナムのカフェはそれを実現しているように思う。

 

その意味で、ベトナムカフェが羨ましい。

Diary:今日は珍しく朝一番の血圧が高くなかった。しかし寝ぼけ眼でいつものルーチンの一部として血圧の薬を飲んでしまったのが敗因。朝食時にやたらと体が震えるぞ。食べるのもそこそこに部屋に戻ってお湯を飲み横になって血圧測定すると110-70低いなー多分これが原因、血圧高くないのに血圧降下剤を飲んでしまったからだなー