”ついに”をつけると【読書/映画感想】20250509
マスコミのニュースやブログ記事などでよく見かけるワードで
”ついに”
がある。
先日もある楽曲が”ついに”映像化されたという記事が目について、 さっそくリンク先へ飛んで閲覧。はるか昔の名作だが、これまで映像化はされていなく、”ついに”感はあるにはある。そのため期待感が大きくなりすぎたのか、”ついに”の割には、「ああ、こんな感じか」とガッカリ感が否めない。作品はいいのだ。あくまで私の感情的反応。確かに”ついに”ではあるのだが、”ついに”と改めて言われるとそうでもないと思うことになる。”ついに”で膨らんだ期待に負けしてしまうのだ。
実際に”ついに”ではあるし、その背景や、ここに至るまでの企画、実現までの実務、コスト、こだわりへの寄り添い、いろいろなハードルがあるのを乗り越えてきたその勢いと力は理解できる。しかしやはりの「ああ。。」感。
冷静に考えると、この「ああ」は映像化側の努力ではなく、観る側の勝手な期待感と”ついに”ワードによる期待の拡大が理由なのだと思う。先に”ついに”と言われないほうが、心から”ついに”を感じられるのではないかと思うのである。”ついに”とまとめないで、
”N年の時を経て”とか、
”誰それの企画と誰それの出資で”とか、
事実をキチンと表したほうが、オーディエンス側が理解して”ついに”かと自主的に思えるのではないだろうか。
Diary:連休明けの病院、混んでるのはわかるのだが、システムが調子悪いようで、ドクターの端末に結果がくる反応すら遅いようだ。更に、診察終わって会計にいったらものすごい行例。進まない。係員が回ってきて「診断書」などの受け取りがない場合は明日以降支払いに再来できるかとチェックしている。自分は明日もくるのでいいが、遠くから来る人はそうはいかんよね。