人は自分の安心のために心配するんだ、、というのはヒネクレすぎ?【御散歩雑談】20250725
最近の体調から心配してくれる人は多い。大丈夫?無理しないようにと声をかけてもらって心配されているとありがたいなと思う。ただ、自分はちょっとヒネクレものなのだろうか。その心配の言葉があまりに頻繁だと応えに窮するというか、あることが心の中に芽生えてしまい、なんと答えればいいのかわからなくなる。
”大丈夫”というのも嘘だし、”具合が悪い”というのも相手の期待する応えではないだろうから、気分を害するような応えを返してしまったりする。そして反省し、何て言えばいいのかまたしばらく悩むのだ。
人は、”大丈夫?”と尋ねるとき、何を期待しているのだろう?
具合が悪いことはわかっているのだから、”大丈夫”ではないのだ。だから尋ねるのは本当は尋ねられるほうにとっては辛い質問である可能性が高い。だって、大丈夫じゃないから。そして、そのように応えると心配を増幅させることになる。
尋ねてくれる人がそれほど深刻にとらえない人ならあまりに気することもないのだが、実家の母(92歳。妹と同居=助かっている、感謝)は年齢もそうだし、離れているせいもあるし、そもそもが心配性なので、”大丈夫”かと聞かれたときは本当に困る。
大丈夫じゃないし、そう応えると心配させるので大丈夫といいたいが、それも嘘だ。結局、「いろいろな科にかかっているので大丈夫にはならないけど、具合がすごく悪いわけではないので心配はいらないよ」という回答がベストになるのか。尋ねたほうとしては、”大丈夫””心配ない”という応えを聞いて安心したいのだろうが、そこはもうどうしようもないのである。
人はある意味で、自分の安心のために心配する。
実際は、心配が解消されないこともあるのは受け止めてもらうしかないのである。

Diary;なんとかファーストが批判されているがなぜなのかと思う。そもそもなんだって自分ファーストだろう?誰かのためにという行動だって巡り巡って自分への効果があるからそうするんだろうよ。アメリカは歴史的に自分ファーストだ。そもそも外務省がない国務省が”国務の一貫として外交”をする。国務のための外交、これあたりまえ。今の日本ファーストへの反感は、トランプのアメリカファーストに反応してそれに影響を受けて日本ファーストに嫌悪を感じているのではないかい?この機会にまずは日本ファーストを表立って言えるようにしたらいいよ。