半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

アルバイトは何を教えてくれたか

アルバイトは何を教えてくれたか【たまプラビジネス余談放談】 20230224

 

自分でほしいものをある程度自分で自由に手に入れたいという思いは中学生くらいに芽生えた。最初は蝶を採取するための絹の捕虫網が、次は切手収集のため、そのあとはレコードや楽器のため、ここまでは高校生だったか。この頃アルバイトで雇ってもらえるようになり「自分で稼ぐ」ことに目覚めた。

 

  • 最初のアルバイトは、親戚が経営していた清掃会社ベンチャー。当時は専用器具を備えた清掃会社は少なく、電動の掃除機やウォッシャーで休日の市役所や大きなオフィスの会社を清掃する会社だった。アルバイトの私はゴミ捨てや箒での細かい掃除、最終的にはウォッシャー機器も使う様になった。時給は確か500円だったか。ただし仕事は休日に限定されていた。ベンチャーとは気づかず、清掃という裏方の仕事を学んだ。
  • 次のアルバイトは、コカコーラ社の自動販売機や販売店への配達納品車に乗ってのお手伝い。自販機では空き瓶(空き缶はまだなかった時代)を回収することと、自販機への補充、販売店でも空き瓶回収とケースに入った瓶の納品場所への移送だった。移動時にネコと呼ばれる台車にケースに入ったコーラ瓶(缶ではない)を運ぶが田舎で地面がでこぼこだとバランスを崩して倒して50本まとめて破損なんてヘマをよくやった。時給は750円くらいと記憶。自販機にはこうして品物が届けられているのかと物流の仕事を学ぶ。
  • 3つ目は、食堂を経営する友人の実家で、主に甘味系の盛り付けと餃子の皮伸ばし。夏祭りの最中は超多忙だが時給もあがり友人が様子を見にきたりして楽しい仕事。クリームソーダやチョコパフェなどが作れるようになった。しかしどうしてもレモンスカッシュが美味しく作れないままだった。カキ氷は間に合わないほどの注文が殺到し、バイト仲間と交代で指先がシロップで真っ赤になっていた。時給は450円くらいか。飲食業の店舗での仕事を学ぶ。ここまでは親と同居の高校生時代。
  • 大学へ進学する。地方から東京へ出て下宿あるいはアパート暮らしとなる。大学の授業料は出してもらい生活は仕送りでは足りずアルバイトは趣味ではなく生活費目的の占める割合が高くなる。一方授業にも出るため夕方からの時間を使う。バイクに乗っていて憧れもありガソリンスタンド店員。0時までが基本だがケースによっては早朝までの場合もあり。その場合翌日の授業が遅くないと支障がでる。車の扱いを学ぶ。
  • 並行して家庭教師。高校進学を目指す女子中学生に数学と英語を教えた。残念ながら成績が上がらずこちらも就職に向かって忙しくなり途中で辞退。時給は1000円で夕食をご馳走になったりした。人に教えることは難しいこと、親御さんの職業や関わりも重要だと学ぶ。
  • 最後はエレベーターボーイ。まだ男女雇用機会均等法が施行されるまえでビアホールにつながるデパートのエレベータはエレベータガールは6時まででそれ以降をボーイが引き継ぐ。時給は1200円と破格。ただし酔客の対応など接客としては高度な対応を身につける必要があったこと、業務終了後の付き合いなど水商売的な対応もする必要があった。

 

さてアルバイトは上述のようにさまざまな社会の仕組みに触れることができたが、結局は時間を売ることであり、それでは稼げる額に限界=自分の人生時間、があること、稼ぐためにはその時間を労働に捧げなければならないことを身をもって学んだ。稼ぐとその分の自由は時間として消えていく。時間を売るのではない稼ぎ方をしない限り自由は稼いだあとにしか得られない。大雑把にいえば貯金するために働き稼ぎそれを使う時は老後にしかこないことになる。

 

時間を売らない生き方を目指すことを、目指すべきだと、アルバイトが教えていた。

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