夢の分かれ道はあったのか【御散歩雑談】20230807
桑田佳祐の「いつか何処かで」が好きである。
昔はカラオケでよく唄ったものだ。
”今も忘れない〜夢の分かれ道〜♪”
と唄うと上司や後輩が
「やっぱり思い入れがあるんですか?運命的な分かれ道のことを思い出すんですか?」
と聞いてくる。
「まあね」
と応えるものの、よくよく考えてみるとそんな決断的な分かれ道はなかったような気がする。いつも流れにまかせて決めるとなく流された方向を選択したような気になっていただけのような気がするのだ。
という話を土用の鰻を肴に沢の鶴の冷をお猪口に注ぎながら飲み友達と駄弁る。
そうなんだよな。
決断の時や、都合が悪くなった時、決断しないで誤魔化してきていると改めて思う。
「結局さぁ。。。」と彼女は言う。
ドラマみたいに決断をするタイプじゃないんだよ。”どうにかなる”と楽観的に考えてしまう傾向なので、例えば、将来や、周囲との軋轢や、お金のことにしても、都度対処できるだろうと思っているのでじっくりと息を止めて決断することを避けてきた。細かい分かれ道にしてもその時々で”やりたくないこと”をは選ば”なかった”。
そうだ。
”やりたいことを選ぶ”んじゃなくて、
”やりたくないこと”を選ばない、
という分かれ道の選び方だから今になって考えても選んできたわけじゃないから、選ばなかっただけだから、そこは夢の分かれ道でもなんでもなかったのだろう。
飲み友達もそうだったのかは定かではないがうっすらとした共感だけを頼りに、洒落たマティーニとかジンバックとかで静かに締めの一杯という感じも悪くはない。今日も決断はない。
カンパイ。チアーズ。レハイム。