語尾に後悔【御散歩雑談】20220606
自分も含めて、誰かと話していると語尾によく現れる言葉のクセがあることに気が付く。例えば。
- 〜になってしまうんですが。。。
- 〜にしてしまったんですが。。。
- 〜ということにしてしまったんですが。。。
- 〜をやってしまったんですが。。。
- 〜と似てしまうんですが。。。
語尾には深層心理が表れてくるんじゃないかと思っている。
いずれも、〜に〜してしまった〜と、自分の行動や決断を、”後悔”しているような、そうなったのは自分の決断ではなかったと”言い訳”のような、その決断や行動に”自信がない”ような、または、ある種の”責任回避”のようにも聞こえるフレーズ。
個人と個人の個別の会話ならばいいが、公に、またはスピーチの場で、あるいはセミナーで話すときにこのフレーズが聞こえてくると、話者の話に信憑性がなくなるように思える。
口癖もあるだろうが、言葉の裏側には、理由があるのだろう。
一つは「後悔」か。
その時は熟慮したのだろうが後になってみるとあの決断は間違っていた、もっとよく考えればよかった、という後悔。または、あまり深く考えず適当に決めてしまったという後悔か。
もう一つは「言い訳」的なもの。
今こうなっているのはあの時の決断、行動が原因だが、その時は深く考えずにそうしてしまったのだ、仕方ないだろう?という言い訳。
後一つは、「決断に自信がない」ことの表れ。
そうした!と言い切れない自信のなさ。かつ、今でも自信がない。結果を受け入れたくない。または、なぜそのような決断したかと問い詰められたくない心持ち。
誰かと話す時、語尾に耳をそば立てている。その人がどんな決断をしてきたのか、どういうクセがあるのか。そのクセは、これからの関係にも影響を与えるかもしれない。決断を委ねていいものかどうか。あまり追い詰めないほうがいいのか、大丈夫か。だから、この手のフレーズは封印したほうがいい。それが単なる口癖ならなおさらだ。本当は違うのに、不信感を与えてしまうのでは、あまりにももったいない。その配慮もないのでは、聞く方にも失礼だ。
語尾には深層心理が表れてくる。