【ODRピックアップ/半蔵門ビジネストーク】20161124 国家があるからもめる?でもないともっと困る
其の昔、理想主義的なロックの歌詞を聴いて、歌って、そうだそうだと思っていたこともありました。
「この世に国境なんかなくてもいい、人は皆一緒だ、きっと分かり合える」
いつかはそんな時代が来るのかもしれませんが、今は、パスポートに各国の外務省が、「本旅券の所持人が支障なく旅行でき、保護扶助を与えられるよう各国の藷官に要請する」と謳って、国と国との間の約束で自由に旅行できることも避けられない事実です。国家がなく、国家間の約束がなければ、パスポートという概念もなく、みんな自力で旅行し、自身を保護することになるには、先が長いというのが実感です。
国際法の概念の中では、各国は主権を持ち、それは他国からは侵害されないものと認識されています。国際法という唯一的な法があるわけではなく、主権をもつ国家間での合意により、合意した各国が自らの意思で自らを拘束するということに帰結し、合意しなければ拘束もされません。ナントカ条約に合意すると、合意した国家の間でそれが約束となり、合意に拘束されますが、合意していない国は拘束されません。(ただし、慣習法として、国際的に実行されているものはあり、それらは合意がなくても、事実上守られている場合もあります)
では、その主権の主体となる国家はどうやってきまるのか?
歴史的慣習的には、
国家は
1)住民がいて、
2)領土領域があり、
3)統治組織(政府)がある
ことが基本となります。3)の中には、他国と関係を結ぶ外交能力や自決権なども含まれると言われる場合もあります。
そして、「国家だよ」と宣言した”国家”を、他の国が「うん国家だね」と承認すると「国家」として国際社会に迎え入れるという方法が歴史的に行なわれて来ました。(宣言すれば国家になるという説もあります)これは、かつての植民地時代に、独立宣言して、宗主国や周辺国が認めて初めて国家になるという歴史的な国際法観のためです。
今でも、これが影響して、ある国に対して、A国は国として認めているが、B国は国として認めていない場合が出て来ます。中国と台湾、日本と北朝鮮、アラブ諸国とイスラエルなどです。
その一つの関連ニュース。中国が、国際刑事警察総会に台湾の参加を認めないという報道。
これは、特に現在の台湾政権が、過去に合意していた”一つの中国”を表明していないことへの報復だという説もあります。
一方、米国は、台湾としての参加を指示しています。(米国は、台湾にはビザ免除していますが、中国にはビザ免除していません。日本も同様)
私が参加している任意の国際会議でも、中国と台湾両国が参加しているものがありますが、ここではあまりそうした排除的な動きは出て来ていないものの、台湾の出席者は時々気を使って、パワポの表現を変えてくれるように耳打ちしてくることがありました。
会議の歴史を説明する資料などで、加盟国名を示す時に、台湾(Taiwan)ー>Chinese Taipeiと変えたり、中国という表現を、Mainland Chinaと変更したり、あるいは、国旗を表示している場合は、それを全部消して欲しいなどです。
国家は領土を持ちますが、海洋に接していると、領海という概念もクセものです。どこまでが領海か。対岸に国がないあるいは遠ければ、一定の距離までが領海(200海里)ということが国際海洋法条約で決められており、条約に合意していれば、決着しますが、対岸の国の領海と領海が200海里以内で重なってしまう場合には、中間が領海の区切りとなります。が、海の上に線や壁ができるわけではないので、争いが起き易いのです。またそれ以前に領土がどこまでかということで、島がどちらの国家に属するかということも、過去にもいくつかの地域で大きな問題となっています。
領海は、その海の魚介や地下資源が自国のものかどうかということは、国家の財源だけでなく自立性にも関わってくるので、取り合い=争いの元になりやすいのです。国家なければいいじゃないか?国家がなくなれば国家間の約束がなくなり、各自が自力で個別に確保する世界に逆戻りするかもしれません。やっぱり国家はなくてはならない。でも、もめ事の諸元でもある。
上の地図の左下。
地図の題名は、
Political Wall Map
となっています。政治的壁の地図。
それぞれが自国のために主権を主張していく宿命です。