半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

ココロのカサブタ(1)

ココロのカサブタ(1)【御散歩雑談】20230908

 

芸人オードリーの番組のオンラインライブのテーマで、昔傷ついた言葉をわらいにする試みが行われる。昔言われた言葉で傷つきそれを忘れ去ろうとしても忘れられない、そんな言葉の傷はカサブタのようになって残っている。カサブタなので出血もしないし痛くもないが、ふとした瞬間に思いがけずに触れたりするとその傷や痛みを思い出すことがある。自分にも数多くのココロのカサブタがある。あえてそれらを曝け出す。

 

偏食

一番古いカサブタは小学3年生だったか。当時の私は偏食が激しくほとんどのおかずが食べられなかった。味噌汁の具に葉物があればだめ、カレーの肉がだめ、玉ねぎもダメ、野菜はじゃがいも、かぼちゃ以外は全部ダメ、寿司の具もほとんどダメ。。。そんな具合だから給食もほとんど食べられず、コッペパンにおかずを挟んで、「先生パンを残していいですか」という技を編み出し、しばらくそれで凌いできた。

秘技ーパンにおかずはさみ

そんなある日、パンにおかずを挟んで残そうとしていたら誰かが言った。「先生、万代くんはおかずをパンに挟んで残そうとしています。」先生が飛んできて「ダメよ食べなさい!」私の偏食は悪化していて食べられないものを口に入れると吐きそうになる。先生は食べず嫌いの判断し、「食べられるまで勉強しなくていい」と言い渡した。

小三で味わった孤独

午後の授業が始まり5時間目、6時間目、私の前には給食があり、食べられないので、下を向いて時間を過ごした。帰る前に「特活」という名前のクラスがあり、みんなが意見を述べ合ったりする。その日は私の給食一色。「毒があるわけではない」「私も食べられた」「毎日残しているのを見てた」など。終いには「XXくんと同じ意見です」という意味なし意見も出てきて。それでも食べられなかった。涙も出てきた。小学3年。9歳。

先生は何も見ていないことを知る

やがてみんな下校したが、2〜3人が見張っている。帰ろうとすると「だめだ」と、もはやいまでいうイジメ。私もよせばいいのに「あの怪獣の人形あげるから見逃してくれ」と買収工作w それをまた先生に告げ口され先生もエスカレート。結局、暗くなってきて先生も帰る時間となり、「もう給食室にそれを戻して帰りなさい」と解放された。翌日から学校を休んだ。もちろん仮病。親には言えなかった。自分の部屋もなかったので引きこもることもできず数日後に登校した。社会の授業で地図に色をつける課題が出されていた。どう塗るかの説明は休んでいる間になされたようだ。よくわからないので適当にあやふやに色を塗った。「話を聞いていなかったのか」とひどく先生に叱られた。休んでいましたということは言えなかった。休んだかどうかなんて見ていてくれないんだなと理解した。

 

そして心に蓋をした

何も言葉はでなかった。無表情でやり過ごすことを覚えた。言いつけたやつも見張っていたやつも誰だったか覚えていない。親友とかそういう概念はまだ理解していなかったが、誰も助けてくれるやつなどはいないと体感した。その感覚はカサブタとなって封印された。

 

ちなみに、偏食は小学5年で完全克服した。助けてくれたのは5年担任の先生。失った先生への信頼も回復できた。今現在はほぼ偏食はない。