マイブラックヒストリーオブクリスマス【御散歩雑談】20191225
クリスマスだが、思い起こすと黒歴史。
小さい頃は我が家はクリスマスあったかな。
記憶にあるのはバタークリームのケーキを父親が買って帰ってきたこと。でも、それがイマイチ美味しくなくて、あまり食べずに次からはなかった。アイスクリームでできたケーキも一度あったがそれは高いらしくて一度きり。
「うちは仏教徒だからな」
と次回以降はなくなった。でも、おもちゃの靴に入った不二家お菓子の詰め合わせはもらった記憶がある。
中学時代は部活にあけくれ。
2学年上の先輩が全国大会優勝したので、クリスマスも関係なく練習だった。星が見える朝、部活に向かい、星を見ながら帰宅していた。
大学時代は、彼女のいる友人が帰ったあと、大学近くの雀荘で麻雀をするグループに合流。ちらほらと華やかな残骸が舞う徹麻明けの池袋の街。吉牛か松屋の牛丼がクリスマス明けの朝食。
小林万里子のブルース「朝起きたら」が耳にこびりついていたのは不思議な思い出。
就職してバブル期。先輩に連れられて、赤坂、銀座、六本木のクリスマスはしご。華やかだけど、解散後の帰り道のタクシーはよしだたくろうの世界だよ。祭りの後の寂しさよ。
家庭を持ち子供の待つ家へ帰る。ケーキを買って帰ったりもする。くつに詰まったお菓子。サンタクロースを演出して、庭の木にプレゼントの入った靴下を吊り下げて子供たちの喜ぶ顔を見て喜ぶ。そして夜はまたデスクに向かって仕事を続ける。眠れないクリスマス。
このころの主要な取引相手はイスラエル。彼らにはイエスキリストを祀る謂れはない。クリスマスだろうが仕事をしている。要求への返事も返ってくるし、要求もやってくる。週の始まりは日曜だからこちらも日曜から仕事をすることになる。家族顰蹙のクリスマス。
そして最近は浮かれる音楽はもちろん、聖なる儀式もロマンチックな演出もイラつくか、心苦しい気分が盛り上がり、かといって、やけ酒をするわけでもなく、ただ早く過ぎ去ればいいと、祈りはその方向になってしまった感。
でも、こうして振り返ってみると、ブラックヒストリーじゃないじゃん?
と言われそうではある。
メリークリスマス。
明日は、ブラックヒストリーオブクリスマス(2)をお送りします。