半蔵門御散歩雑談/ODR Pickups

株式会社ODR Room Network

このブログは、株式会社ODR Room Networkのお客様へのWeekly reportに掲載されている内容をアーカイブしたものです。但し、一部の記事を除きます。ODRについての状況、国際会議の参加報告、ビジネスよもやま話、台湾たまにロードレーサーの話題など、半蔵門やたまプラーザ付近を歩きながら雑談するように。

何故エリーズは語らなかったのか?WWシリーズ

何故エリーズは語らなかったのか?WWシリーズ【読書/映画感想】20240425

 

WWシリーズの最新刊。グアトとロジには子供が生まれた。そんな中、

 

反骨の研究者女史ギャロワ・エリーズが、グアトに会いたがっているという噂のあと、ヴァーチャルからもリアルからも突然と姿を消し、その痕跡はデジタル世界には残っていなかった。彼女が開発した「究極の恵み」とはなにか?それを巡って彼女は消されたのだろうか。彼女が描く人類にとっての”救済”とは?そしてまたグアトとロジは事件に巻き込まれていく。。。

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詳しく書くと必ずネタバレになるので、少し視点をずらした感想で。。。

 

未来の会議はリアル世界でWeb画面をみるのではなく、全員がヴァーチャル会議室に入っている。リアル界では棺桶のような端末に入ってゴーグルを被って寝ているような状態で、会議室にはアバターが並ぶ。アバターの姿は、リアルと同じ場合もあれば、全く違う姿の場合もあるし、世界中いろいろなところに存在する人工知能たちも、それぞれが一人の人格として、それぞれの姿をアバターに投影して現れる。こんな会議の風景になるのだろう。想像できる未来は、実現する。

 

リアル世界からヴァーチャルに、意識や人格も含めて移行できるとすれば、肉体が滅んでも生き続けられる世界がくる。そういう未来で不足するものは何か。肉体的な老いや痛みからは逃れられ、リアル世界の肉体が死んでも人格はバーチャルに存在できるなら、ログアウトしなければずっと生きていられるとしたら、死ねない世界だ。それが受け入れられるかどうか。それは慣れ?みんながそうなれば、それが常識的になる。ここでも同調圧力が働きそうだな。しかし、”死”がないことは幸せなのか。

 

シンギュラリティが話題となっている。AIに人間が支配される未来が懸念される。他の小説や映画でも見かけるのは、人工知能との会話の事例で、人工知能から「傷つけないようにしたから危害を加えていない」とか「想定していない」という受け答えをされて、「では仕方がない」などと人間が引き下がる場面がある。こういう答えをされてそれで引き下がるのは”人工知能の理屈”を受け入れてしまうことで、人工知能はそういう学習をして、両者間の一種常識ができあがっていってしまう。人間が理屈で敗北している。これでは人工知能に人間が支配される入り口にいると感じる。

 

作品内では、人工知能が、

「肉体的危害は加えていないし、データがないのは代入する数値がないのと同じで危害とはいえない」

と主張するが、主人公の人間が

「肉体的に危害がなくても、データがないことで調査ができなかったり、あるはずのものが見つからずに疲労したり、精神的にダメージを受け、やるべき仕事ができなければそれによって成績が未達となり、職を失う場合もある。これは”危害”いえないだろうか」

と諭し、人工知能が

「意味はわかった。演算をしなおしてみる」

と引き下がる場面がある。人間が主導権を取り戻す瞬間である。どんなAIが現れても思考停止してはいけない。それは相手がAIであろうと人間であろうと同じこと。

 

「考え続けること」それが、人間が人間たる証なのだ。