幻想を抱かなくなった【御散歩雑談】20210115
いつから(ちょっと幼稚な)幻想を抱かなくなったのかなぁ。語彙が増えてきたから表現に幅がでて、表現したものが幼稚でなくなったからなのか。例えば昔は「詩をかけ」といわれたら、”雲の上に楽園がある”的なことをよく使って、小学校の先生に褒められたり文集に載せられた記憶がある。昔の歌謡曲にもある。「雲に乗りたい」とか、「虹を渡って」とか、歌詞とはいえ、浅いなと今にして思う。あるいは、SFウルトラQの話で、”飛行機が雲の上の空間に着陸して怪獣に出くわす”とか。最近でも天空の城ラピュタとか、浮かぶ土地の周囲に雲が渦巻いて飛び続けている。
雲には乗れるはずがない。現実には、雲は飛行機の窓から眺めた通り、ただの水蒸気のようなもので、足場になる物体はない。その上は歩けない。着地するつもりになって足を下せば落下する。同じように虹も渡れない。あれは光の屈折によって見えるものだ。
いろいろ知識をつけると、荒唐無稽な想像力は、現実レベルになった。雲には乗れないが、例えば、ペルーの山の上にある街マチュピチュのように高い山の上に作られた集落なら、雲の中にあるように見える。おそらく下から見て、険しくてたどり着けないことを、「まるであの街は雲に乗っているようだ」という伝説にはなるかもしれない。ラピュタはアニメ作品中では、雲の中に飛行石によって浮かぶ土地があるのだが、高い山の上の土地が現実的か。
タイムマシンで過去に未来にというのも、現時点では実現できていないし、実現できるのかは疑問だ。タイムマシンで移動した場合の着地点でのクラッシュがなぜ起きていないのか。未来がどうなっているかはわからない。着地(着時?)する場所がとんでもない場所かもしれない。列車が走ってきた目の前かもしれない。そんな事故は起きていない。ということは、過去にいけるタイムマシンは未来にも実現していないのではないかと未来の現実を想像する。
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はたまた、同じ人物が鉢合わせしないでいられるのか。戸籍はどうするのか。どうやって身分を証明するのか。そんなことが必要にならない範囲での時空移動のみなのか。ドラえもんは、のび太の部屋の机の引き出しから出入りするのか。あそこならクラッシュは起こりえない。
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ロマンある幻想も実現する方法は難しいので、実現したあとに生じるかもしれない問題を想像してみるといい。幻想が幻想だということに気がつく。
幼稚な幻想は、時に素晴らしい発明を生み出すという話も聞いたような気もするが、それすらも幻想か。
などというくらいには純粋ではなくなったという話。