ロスト・ラッド・ロンドン【読書/映画感想】20210625
南アジア系留学生アルは、市長が暗殺された地下鉄に乗り合わせた。家に帰るとポケットの中に殺害に使われた血のついたナイフがあった。そこにエリス刑事が尋ねてくる。覚えのないアルは刑事とともに真犯人を探すが、謎の人物による警察への情報提供によって追い詰められていく。
市長の昔の恋人、日系刑事、黒人刑事、エリートの白人刑事、人種差別と因縁とに絡め取られていくアルと黒人刑事。人種差別は無くならない。それは防衛本能でもあり、優越感でもあり、単なる慣習かもしれない。
この作品は偶然発掘したのだが、絵の隙間が広くて、不思議な感覚である。あまり背景にごちゃごちゃ情報量が多すぎると、読むのに疲れるようになってくるので、この隙間は丁度いい。ごちゃごちゃが迷惑なのは最近のONE PIECEがいい例。じぶんは未だコミックスを継続して読んでいるが、娘たちや家族は、魚人島あたりで絵がゴチャゴチャすることを理由の一つとして読まなくなってしまった。絵のごちゃつきを理由に読まなくなったのは理解できる。読み続けているのは意地である。
因みに絵に隙間が欲しいのは、行間を読むとかそういう高度なことではなくて、単に、ゆったり見られるからというだけ。心拍数が上がらないで読んでいけるからというしょーもない理由である。その意味では、オノナツメ氏の作品も空間が多い。こちらも全作品揃いそうな勢いで探しては読んでいる。
ところで、ロスト・ラッド・ロンドンのLadは、若者という意味だ。ロンドンの迷子の若者。東京でも地方でもどこでもいいのだが、迷子、これは人生の迷子あるいは迷子のように行き先を探しながら生きるということだろうが、これも若者の特権だなぁと感じる。歳とってから迷子というと徘徊とか認知症とかそっちにつながる。
むしろそっちにしかつながらないからね。
街中でも人生でも迷子は若いうちにした方がいい。